みことば

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6月2日 西林 佳夫さん

チャプレン 和田 憲明

[2026-06-02]

【聖書】コヘレト7:15-16

15空である日々に私はすべてを見た。

義のゆえに滅びる正しき者がおり

悪のゆえに生き長らえる悪しき者がいる。

16あなたは義に過ぎてはならない。

賢くありすぎてはならない。どうして自ら滅びてよかろう。

おはようございます。

宗教委員で大学総務課の西林です。

突然ですが、ここに「ボウル」と「皿」があります。ボウルは普通深さをもってつくられ、スープなどの液体のものを食べるのに主に使いますね。対して皿はどうでしょう。通常、横に広くつくられ、固形のものを食べるのに適しています。

それでは、例えばボウルの深さを5ミリずつ低くして、皿を5ミリずつ高く、段階的につくっていったらどうでしょうか。やがて、ボウルも皿も同じような深さになり、どちらが皿かボウルか区別がつかなくなるでしょう。

そして、深さが何センチになれば皿ではなくボウルになる、なんて明確な基準はありませんね。

私が学生時代に受けた言語学の授業をまねてみましたが、そうであるならば、ボウルという食器と、皿という食器の名前はどう決まるのでしょうか。大多数の人が同じものを思い浮かべることができるかどうかでものの名前が決まるのだということです。確かにそうですね。今私が持っているボウルを、「皿」なんていう人がいたら、何を言っているんだろうと反応に困ってしまいますよね。

逆に、「似たようなものや概念の境目はここです!」と特定するのは非常に難しいですね。きょうは、言語学や哲学に明るい先生方がいらっしゃるので突っ込みどころ満載かもしれませんが、そこはお手柔らかに聞いてください。

さて、最近、弁護士ドットコムというサイトに気になる記事がありましたので紹介します。Yahooニュースにも取り上げられていたのでご覧になった人もいるかもしれません。

2019年9月に山梨県で、キャンプに来ていた小学1年生の女の子が行方不明になるという事件が発生しました。大規模な捜索が行われたにもかかわらず、残念ながら3年ほど経過した2022年に、現場からわずか600mの場所で、遺体で発見されました。当初から、女の子の母親はどんな些細な情報も逃したくないという一心から、ご自身が経営していたお店のブログに情報提供を求める投稿を続けていました。

投稿にはたくさんのコメントが寄せられ、励ましの言葉とともに情報提供や、安否を気遣う声など心温まるものが多数を占める中、「母親が殺害したに違いない」などと、事実無根の悪意に満ちたコメントもあったようです。しかも、そのような悪意のコメントには励ましのコメントの10倍以上のイイねがあっという間についてしまう状態だったそうです。

そして、記事の中で特に目を引いたのが、誹謗中傷より苦しかったのが「正論」を向けられることだったと述べていることです。コメントを読みます。

「一番つらかったのは正論でした。子どもを3人育て上げたという女性が『私だったら十数秒でも子どもから目を離さない』とフェイスブックを通じて実名でDMを送ってきました。私に責任があることは私自身が一番よくわかっています。誰よりも後悔しています。子どもが行方不明になった家族は、こうした言葉にも苦しむことになると思います」

胸が締め付けられる思いがします。ある意味、正義感から出たDMだったのかもしれません。

この、「正論」や「正義」という言葉ほど、使う人によってとらえ方や定義が異なる言葉はなかなかないと思います。「ボウル」や「皿」と違って、大多数の人が同じように思い浮かべることができる正論や正義はないからです。それぞれの内面や主義、主張の影響を大きく受けるからです。

今日読んでもらったコヘレトの言葉には、「あなたは義に過ぎてはならない。」とあります。人間の、独りよがりで行き過ぎた正義は他者を傷つける刃になりかねません。しかし、神様を通してもたらされる正義は、神様からしか得ることのできない「愛」と「憐れみ」に基づき、他者に寄り添うものなのではないでしょうか。

短く祈ります。神様、私たちは何気ない一言で簡単に人を傷つけてしまいます。それでも、あなたの愛と憐れみによって導かれる正義によって、私たちに他者へのやさしさを与えてくださるよう願います。

この小さな祈りを、主イエスキリストを通じてみ前にお捧げいたします。