みことば

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7月2日 角本 浩 牧師

チャプレン 和田 憲明

[2026-07-02]

旧約聖書 詩編121:1-2
私は山々に向かって目を上げる。/私の助けはどこから来るのか。
 私の助けは主のもとから/天と地を造られた方のもとから。


今読んでいただいた詩編121編。
これは、巡礼の歌のひとつであります。
 私は山々に向かって目を上げる。/私の助けはどこから来るのか。
 私の助けは主のもとから/天と地を造られた方のもとから。
巡礼。日本では、たとえば、四国巡礼の旅というのがあります。お遍路さんと呼ば
れる格好をして、八十八か所の神社をめぐる。
ユダヤの人々の巡礼は、そういうものとはちょっと違いました。八十八個所もめぐ
りません。目指すところは、ひとつ。エルサレムの神殿でした。
そこへ行って、神さまを礼拝する。
今のように、車とかがあるわけではありません。巡礼者は、通常、歩いて行きまし
た。遠いところに住む人は、何日もかけて、旅をしていました。孤独な旅です。
そして、時に危険も襲いました。たとえば、夜道は怖いです。今も、昔も、怖いで
す。悪いことを考えている人が、待ち伏せしていることもあります。
それから、険しい山道を進む時、獣が現れる、そういう危険もありました。旅人は、
杖一本を持って、歩んでいく。危険があることは承知の上で、それでも、神さまを
礼拝するために、巡礼の旅をしていたようです。
さて、そのように道を進みながら、旅人は、ふと目をあげました。
私は山々に向かって目を上げる。とあります。
険しい道を進む時、人は、だいたい足元を見ます。その歩みを止めて、ふと、上を、
また周りを見渡す。すると、まるで自分を取り囲むように、山々がそびえている。
自分を飲み込んでしまいそうなほど、山々がそびえている。
 私は山々に向かって目を上げる。/私の助けはどこから来るのか。
旅人は、自分自身の孤独を思います。そして旅人は、自分自身の小ささを思います。
いま、ここで、何かが起きたら、もう終わりかもしれない。自分を飲み込んでしま
いそうなほど、山々がそびえている。
そこで、しかし、旅人は、その山々よりも大きなお方を思い起こす。
 私は山々に向かって目を上げる。/私の助けはどこから来るのか。
 私の助けは主のもとから/天と地を造られた方のもとから。
自分を飲み込んでしまいそうな大きな山々。しかし、その山々をお造りになった神
さまがおられる。
この巡礼の旅路の歌は、多くの人に愛されて口ずさまれています。それは、この詩
がただ単に巡礼の歌であるのではなく、人生の旅路を歌ったものであると分かった
からです。
私たちの人生の旅路も、時に、険しいこともあり、さびしいこともあり、また色々
なことに、取り囲まれてしまったり、心細くなることもあります。
旅人が、ふと目を上げて、山々を仰いだように、私たちも、ふと気が付けば、周り
に色々な困難が待ち受けていて、自分が何だかちっぽけな存在に思えてしまうこと
もあります。
その人生の旅路の中で、この詩を思い起こすことができます。
 私は山々に向かって目を上げる。/私の助けはどこから来るのか。
 私の助けは主のもとから/天と地を造られた方のもとから。
そしてこの詩は、このあと、神は、まどろむことなく、眠ることなく、いつもあな
たのことを見守っておられる。恐れることはない、と教えてくれます。
私たちの旅路、時に、不安に襲われることもあり、つまずくこともあります。
でも、今日まで守られてきました。見えない所で、神さまが、守っておられたのだ
よ、ということ、今日の歌は教えています。
これからも、あなたの旅路、心配なこともあるかもしれない、大きくそびえたつ山
々のような、問題が立ちふさがる時もあるかもしれない。でも、心配いらない。神
は、いつもあなたと共におられる。あなたを守られる。そのことを教えておりまし
た。

祈ります。
神さま。この朝をありがとうございます。私たちの人生の旅路、いつもあなたが共
におられます。
そのことをしっかり覚えて、顔をあげて、歩んで行くことができるようお導きくだ
さい。
主イエス・キリストのみ名によって、祈ります。アーメン。