6月18日 重岡 忠希 特命副学長
[2026-06-18]
新約聖書 「ローマの信徒への手紙5章2〜5節」(聖書教会共同訳)
「キリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとしています。苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むことを知っているからです。この希望が失望に終わることはありません。私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
本年4月から、特命副学長として事務部入試課内で、本学のPR・学生募集、入試関係の業務をしております重岡です。どうぞよろしくお願い致します。
私と聖書との出会いは、45年前の九州学院高校への入学からです。私が中学生だった1970年代後半は、校内暴力等で中学校がとても荒れていて、多くの人が虚勢を張り、本来の自己を見失っていたような時代だったと個人的には思っています。そのような中、高校で出会った先生方やクラスメイト、そして人を差別することなく受け入れる愛情と寛容の雰囲気に満ちた校風が、私にとって、「ありのままの自分でいていい」という心理的安心感を与えてくれたことを今も鮮明に覚えています。これもキリスト教に基づくミッションスクールのお陰だと感謝していますし、何よりも4月から本学で仕事をする機会をいただき、はじめて勤務させていただいている大学なのですが、何故か以前から勤めていたかのような安心感に包まれ、日々過ごさせていただけていることも、まさに神様のお導きだと改めて深く感謝しているしだいです。
私は、大学卒業後、幼い頃からの夢であった教職に就き37年間奉職しました。小学校に2年、中学校に3年、高校に16年、そして教育行政に16年間携わりました。この間、子どもたちと共に感動の日々がたくさんありましたが、その一方で数々の困難にも出会いました。特に教職についてからは、子どもたちに教える立場として、常に自分自身の生き方についても深く考えるようになり、様々な書物等から子どもたちやその保護者に伝えたいこと、又は自分自身の生き方の羅針盤となるような言葉や文章などをノートに書き留め、その時々の心の拠りどころ、支えとしてきました。
そのような中、40歳の時、初めて教育行政の仕事に従事しました。その中でも、特に大変だったのが、高校の統廃合や生徒指導・いじめ問題への対処、学校に対する苦情・クレームなどへの対応でした。批判の電話やメールが深夜まで続くなど、とても困難な毎日でした。一緒に仕事をしていた同僚が、心身の不調等を訴え出勤できなくなる状況などもありました。
私は、「こんな仕事をするために教師になったわけじゃない、学校に戻りたい」とずっと思い、ひたすら時間が経つのをただただ耐えながら仕事をしていたように思います。ちょうどその頃、私が出会った聖書の言葉が、本日引用した箇所です。
この言葉に、私は救われました。如何ともしがたい困難に直面した時も神様はきっと支えてくれていると信じ、ひたすら耐えながら仕事をしました。すると、耐えながら仕事をしている自分の意識や行動が少しずつ無意識のうちに変化していくのを感じました。最初は、自分はこんなに努力しているのに「なぜ理解してもらえないのか」といった自己中心的な考え方で対処していたように思います。しかし、時間が経つにつれ、相手の気持ちを考え、「どうしたら理解してもらえるだろうか」とか、「その人に苦情・クレームを言わせている背景は、何だろうか」といった相手の立場に立った思考に、自分の考え方が変化していっているのを感じたのです。更に、耐えながら試行錯誤を続けていくと、更に自分の考え方や行動が変化していき、ついには、出口は見えな
いと思っていた困難な課題に対して、微かな希望の光、すなわち解決の糸口が見えてくるようになってきたのです。
このような経験を通して私は、どんなに苦しい時も決して諦めず、耐え忍ぶことで必ず希望の光が見えてくること、そして神様は如何なる時も私たちを見守り励ましてくださるということを実感し、人が生きていくうえで、如何に「心の拠りどころ」が大切であるかを知りました。
皆さんも、勉学のことや人間関係など、様々な困難に直面されているかもしれません。また、今後様々な困難に直面されるかと思います。しかし、如何なる時も神様は私たちを見放すことはありません。そのことを信じ、どんなに困難な時も、希望の光に向かって進んでいきましょう。この希望が失望に終わることはけっしてありません。
それでは、最後にお祈りいたします。
主なる神様、本日、ここにともにお祈りする時間を共有することができましたことに心から感謝いたします。私たちは生きていく中で様々な困難に直面し、心身ともに疲弊することがありますが、私たちは神様の愛のもと、困難に耐え忍ぶことで自己の人間性が磨かれ、その結果として希望の光が必ず差してくることを知っています。どうぞこれからも私たちを温かく見守り、励まし、お導きください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。