みことば

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9月28日 金戸 清高 先生

チャプレン 和田 憲明

[2026-09-28]


詩編19:8
主の律法は完全で、魂を生き返らせ/主の定めはまことで、無知な者を賢くする。

指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
天は神の栄光を語り/大空は御手の業を告げる。
昼は昼に言葉を伝え/夜は夜に知識を送る。
語ることもなく、言葉もなく/その声は聞こえない。
その声は全地に/その言葉は世界の果てにまで及んだ。/そこへ神は太陽のために幕屋を張った。
太陽は花婿のように祝いの部屋を出て/勇者のように喜び勇んで道を駆け抜ける。
天の果てを出で立ち/四方の果てまで行き巡る。/何一つその熱から隠れるものはない。
主の律法は完全で、魂を生き返らせ/主の定めはまことで、無知な者を賢くする。
主の諭しはまっすぐで、心を喜ばせ/主の戒めは純粋で、目を光り輝かせる。
主への畏れは清く、いつまでも続く。/主の裁きは真実で、ことごとく正しい。
金よりも、あまたの純金よりも好ましく/蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。
あなたの僕もこれらによって教えを受けました。/これらを守るとき報いは大きい。
誰が知らずに犯した過ちに気付くでしょうか。/隠れた罪から私を解き放ってください。
あなたの僕を傲慢から引き離し/これに支配されないようにしてください。/その時、私は全き者となって/多くの背きの罪から解き放たれるでしょう。
私の口が語ることと心の思いとが/御前で喜ばれますように。/主よ、わが大岩、わが贖い主よ。

 私が中学生の頃でした。寮生活をしていたのですが、同室の上級生のカセットテープからこんな詞の歌が流れてきました。ある男性がいきなり「これこそはと信じれるものが この世にあるだろうか」と歌い出すのです。誰の何という歌かわかる方は、たぶんいらっしゃらないでしょう(最近アニメ映画のエンドロールで小学生くらいの女の子が歌っているのを知り、驚きましたが)。1971〜2年頃の話、私は13歳です。その時からなんなく、この世にこれこそはと信じられるものがあるのだろうかと考え始めていたのかなと思うのです。この世に確かなもの、信じられるものが果たしてあるのだろうかと。ちなみにこの歌手のお母さんはカトリック信者だったのでその人の生き方にキリスト教的なものが培われていたのかもしれません。他にこの人の歌詞には「ノアの方舟」とか出て来たりしていましたので。
みなさんどう思いますか? この世に確かなもの、信じられるものがあるのかと。友だち、親、先生、家族、親族、確かに信じられそうだけど、人間である限り永遠に続くものではなく、人の心は移ろいやすい。
おまけに人の命は有限ですから自分か友だちか、どちらか先に死んでしまいます。そうしたら友情も永遠ではない。お金、これはなくなると不安だからとにかく貯めなきゃと必死になったりします。企業の宿命ですね。どんどん大きくなるか、潰れるか、この2択です。儲けなきゃ儲けなきゃと必死で膨張し、ついには破裂する。まるでイソップの「牛を見たカエル」の話です。恋人、愛、確かに信じたい。これについてはまた別の機会に話しますが、愛は、私は永遠だと思っています。
宗教、どうでしょう? 仏教は諸行無常、この世に永遠はないと教えます。この世に永遠はないと教える宗教が永遠に続くのか、よくわかりません。結局自分しか信じられないと思った人もいるかもしれません。
 ちょっと話題を変えますが、火曜日の朝刊に面白い広告を見つけました。見開きの片面全面に、サンリオキャラクターと世界の古典がタイアップして朝日新聞出版からいくつもの本が出ているのです。キキ&ララの「幸福論」とかポムポムプリンの「パンセ」とか。クロミの「歎異抄」とか、中でも興味深かったのは「ハローキティのニーチェ」で、思わず注文してしまいました。まだ届いていないのでちゃんとレビューはできないのですが。でもこういう形で名作といわれた古典が多くの人に親しみをもたれるような企画は興味深いと思ったのです。
帯にはこう書かれています。「強く生きるために大切なこと 誰かが決めた価値観はいらない。哲学者・ニーチェが説いた「生き方」を知って、明日から人を妬んだり、羨んだりする気持ちを超えていこう」と。かなり前向きのメッセージです。人生を肯定的に捉えるための目安になりそうな本のようです。せめて立ち読みでもと思ってゆめタウンの紀伊國屋に行ったのですがありませんでした。その代わり、「超訳ニーチェの言葉」なる文庫本があって、パラパラと眺めていたのですが、何か、啓発系の本になっていました。ですからこの本もそんなものかと推測されます。
 私はニーチェの本を数冊しか読んでいないのですが、それでも、この人がそこまで人生を前向きにするような本を書いたとは思っていませんでした。少なくともニーチェ本人が、幸福な生涯を送ったとはいえないのです。まあ、牧師の息子でありながら神を否定したような、教会の敵のような捉え方もしていませんが。
で、ちょっと乱暴なまとめ方をしますと、ニーチェという人は近代以降人間が幸福になる筈だったのに、かならずしもそうではなくなってしまっている。もし神がいればどんなに人は幸せだっただろう。しかし彼がどこを探しても、神はいなかった。「神は死んだ」と宣言するのです。もし神がいなければ、人はどうすればいいのか、おそらく一人ひとりが強くならなければならないというのです。
しかし人間、そんなに強くなれるでしょうか? だれか強いリーダーがいて、それにしたがった方が幸せになれるのでは? そんな風潮が稀代のポピュリスト、ヒトラーを生み出してしまいました。
私たちには夢があります。強くなり、偉くなり、あるいは歴史に名を残そうと思ったり、そんな上向きな志向、それは自分を奮い立たせ、自身を勇気づけ、そうして上に上に、のぼり詰めようとし、老いて行くのだと思います。おそらく誰もが、夢半ばで斃れてしまうのです。
これ以上頑張れない、自分はそんなに強くない、たいした人間ではないと悟ったとき、心に空虚な気持ちを抱きます。そんな時こそ、神が私に語りかけている、そのことに気づくのかもしれません。「心の貧しい人は幸いである。〜その人は神を見る。」とイエスは言います。心が貧しいとは、財布が空っぽで貧しい人のように、心が空虚な人のことを言います。つまりその空虚な心にこそ、神が宿るのだと。あなたはこれ以上頑張らなくていい。そのままのあなたが、私は大好きだよと、神は(聖霊は)語りかけてくれるのです。

 さて今日の聖句です。
この詩編 19編、できればみなさん全部読んでみてほしい。今聖書をお持ちの方はちょっと開いてみていただけるとありがたいです。とにかく壮大な世界が描かれているのです。
天は神の栄光を語り/大空は御手の業を告げる。
昼は昼に言葉を伝え/夜は夜に知識を送る。
語ることもなく、言葉もなく/その声は聞こえない。
その声は全地に/その言葉は世界の果てにまで及んだ。

 聖書は神が天地を創造したと言います。地はわかるけど天というのはわかりにくい。上を見ても空、宇宙があることはわかるけど、その、違った次元に天というものがある、そういうことかもしれません。漱石が則天去私という時の天は単なる天体を意味するわけではないのです。
とにかくこの宇宙、神が創造した。だから「天は神の栄光を語り、大空は御手の技を告げる」のです。もちろんその声は聞こえないけれども、その声は世界の果てにまで及んでいるというのです。たとえば太陽の熱、光は全地球に影響を与えています。そのように神が創った。壮大な話ではないですか? 古代から私たちはそのような天体の恩恵を受けて命をつないでいるのです。夜空の星を目印に砂漠を歩いたキャラバンから、太陽光で電気をつくって一儲けしようとする現代人、また先週金曜日は中秋の夜を過ごしましたが、毎晩夜空に輝く月に慰められ、励まされた人も多いのです。そうした天を、神は創った。誰かが創ったのならその目的があるはずです。それは、聖書が伝える大切なメッセージと関わっているのです。それが、今読みました8節です。
「主の律法は完全で、魂を生き返らせ/主の定めはまことで、無知な者を賢くする」。
天が創造主を賛美する、それほどの大きな存在が、この小さな私の魂を生き返らせる。どう生きたらいいかわからない私に、道を示してくださる。これ以上の、確かな、信じられるものが、実はこの世にあるというのが今日の私のお話でした。