10月5日 西林 佳夫さん
[2026-10-05]
【聖書】詩編 18:33-34
33神は、私に力を帯びさせる方。
私の道を全きものにした。
34私の足を雌鹿のようにする方。
私を高台に立たせる。
【奨励】
おはようございます。宗教委員で大学総務課の西林です。
10月3日は学院創立100周年の記念日でした。記念礼拝や式典などが行われました。そして、今日、学院が新たな一歩を踏み出す大事な一日のこの礼拝を、皆さんとともに分かち合えることを神様に感謝します。100年後も耳をすませば電車の音が響き、学生が笑う声が絶えないこの光景が続いていくことを、切に願います。
ようやく暑すぎる残暑が終わり、体を動かすのが快適な季節になりました。私は中学時代からテニスを始めて、今でも週に1回はプレイします。同じクラブのメンバーには70代、80代の方もいらっしゃって、わたしも負けていられないと頑張っています。わたしの当面の目標は先輩方にならって、
70歳までは続けること、続けられる体力を維持することです。
さて、先週は日本のテニス界で大きな、かつ歴史的な功績を残したプレーヤーが引退しました。ニュースなどでも大きく取り上げられていたのでご存じかもしれません。錦織圭選手です。彼は、身長2メートル近い、パワーにあふれる欧米の選手たちに、技術と粘り強さで世界4位にまでのぼり詰めました。最終セットまでもつれた試合での勝率がビッグ4と呼ばれたフェデラーやナダルを超える年もあるくらいでした。もちろん、日本出身の男子選手の中で断トツの成績です。
彼が残した言葉で、特に納得したものがあります。「やりたいプレイと、勝つプレイが違うので、今、自分と闘っています。」という言葉です。こんなに実績のある選手であってもここまで悩むのかを印象に残りました。私は、きれいなフォームを身に着けることこそ美徳だと思っていました。ケガもしないし、無駄な体力も使わない。効率的にプレイできると信じていました。しかし、現実は違います。どんなに体勢を崩されても相手が嫌がることができる知性や執念といったものも勝つためには大事な要素になります。さらには、相手のことを観察できる心のゆとりといったものも必要かもしれません。自分の理想を、結果を出すためには手放さないといけないという現実を示唆しているようで沁みました。
錦織選手の言葉を耳にしたときに、ふと思い出したことがあります。私が中学3年生のころ、中学総体前の大事なトーナメント戦に出場したときの出来事です。私たちペアは、それまでにないほど調子がよく、あれよという間に3試合を勝ち上がり、準決勝に進みました。相手が決まり絶望しました。それまで練習試合も含め1度しか勝てたことがないペアでした。
相手は自信に満ちた表情で私たちを見ています。むしろ、「お前らか」とでも言われているような、見下されているような絶望感です。それまでの私たちならビビり散らかしてあっさり負けていたでしょう。それでも絶好調の私たち。点を取られながらもなんとか最終ゲームまで持ち込みました。そして、最後のポイント、相手が打ったサーブはラインにきれいに乗るくらいの素晴らしいコントロールとスピードで飛んできました。でも、その時の私には、不思議とスローモーションのように感じ、夢中でラケットを振りました。ボールは、相手のペアのちょうど真ん中をとおり、勝つことができました。
いまでいうところの、よくプロのスポーツ選手がいう、極度の集中状態、いわゆる「ゾーン」に入った瞬間だったように思います。当時の私は調子に乗っていたのであたかも、自分の実力で勝ったかのように思っていました。
思い返せば、同じところにサーブされてしまっては、100回に1回も返球できないでしょう。明らかに、私の力ではない別の力が加わっていたのではないかと思います。
そこで、今日朗読してもらった聖書の言葉です。「神は、私に力を帯びさせる方。」そして、「私の足を雌鹿のようにする方。」と記されています。特に、「力を帯びさせる」という表現に注目したいと思います。意識的に力をこめるのではなく、どこからか力が湧いてくる、といった感覚でしょうか。中学生の頃の私と同じように、皆さんもスポーツに限らず何かに集中しているときに、見えない力に導かれる感覚を経験した人は少なくないのではないでしょうか。
私たちは、知識や経験が多くなると、あたかも自分の力で物事を、そして得られた結果を、自身で作り上げているような錯覚に陥りがちです。それでも、私たちは、この学院に集い、祈ることの大事さ、尊さを共有しています。皆さんの特性や興味、これまでの努力はそれぞれでしょう。そこに、祈ること覚えて日々を過ごしていけたらと願います。そうすることで、自分の内面から力が沸き上がり、単なる結果や勝利以上の心の充実につながるのではないでしょうか。
そう考えると、100周年を迎えた私たち、九州ルーテル学院の歴史も多くの同窓生や在校生、関係者の祈りとともに、神様の見えない力に導かれたものかもしれませんね。
短く祈ります。
神様、101年目を迎え、新しい歴史を刻む第一歩を踏み出した私たちをお守りください。私たちは、とかく、自身の力を過信しがちです。それでも、祈ることを通じて、神様が私たちを強めてくださることを信じます。そして、あなたのみ旨にかなうよう私たちを成長させ、役立ててくださることを願います。
この祈りを、主イエス・キリストを通じてみ前にお捧げいたします。