2023年4月10日
[2023-04-10]
詩編78編52∼54節(旧458p、旧915p)
「神は御自分の民を羊のように導き出し/荒れ野で家畜の群れのように導かれた。/彼らは信頼して導かれ、恐れることはなかった。海が彼らの敵を覆った。/神は彼らを御自分の聖地の境にまで導かれた。右の御手をもって得られたその山に。」
皆さんおはようございます。今日から授業が始まる日でした。入学式やオリエンテーションを終えて、私たちの実際の生活が始まったことを皆さん実感していることでしょう。1限の授業が終わった後のこの時間、皆さんは私たちの学校にとって大切なチャペル礼拝の時間に集まっています。皆さん、今日の調子はどうですか?
天気も良くて、皆さん元気で、そしてみんなと新しく出会えたことが嬉しいならばそれはとても良いことと思います。でもそればかりでなく、ちょっと忙しい、慣れない、場合によっては慌ただしく感じる。「あれもこれもしないと」、「まだ分からないことばかり」、そのような焦りと不安の状態にいる可能性もあるかもしれないことと思います。
結論から言えばそれもいいんじゃないかなと私は思います。そういう気持ちも私たちにとって、「始まらなければならないことが始まった」という証拠。準備が足りなかったり、今までのんびりしていたりしたことを気付かされること。これからしなければならないことを気づかせてくれ、それを受ける私たちの気持ち…それもそれで良いのではないかと私は思います。
私たちの人生と生活は過ぎてみてから、「楽しかった」、「良かった」という一言でまとめることはできるかもしれないけれど、まだその真っ只中にある時には一言では言い表せない様々なことと変化が連続して私たちに与えられるからです。
もしかしてすでに始まった新しい生活に追われてるような気持ちを感じる人々いて、不安を感じる気持ちがあっても、それはそれで「大丈夫だよ」ということを言いたくてこんな話をしています。
さて、授業が始まった1日目の今日の聖書の言葉には、このように書かれていました。「神はご自分の民を羊のように…導かれた」。入学式とオリエンテーションで聞いた私たちの学院聖句から、神様は羊を守る羊飼いのように、イエス様はそのために人々のところに来られたというメッセージ。今日の詩編の言葉もこの描写が用いられています。(聖書の中で結構たくさん出てくる例えの一つであります。)
これは間違いなくイスラエルの歴史のある部分を物語る叙事詩(歴史や英雄的な功績をたたえる詩)の中の一節です。イスラエル民族がエジプトから脱出した出来事をこのようにたたえる詩でありました。色んなことがあったはずです。敵に追われたり、食べ物がなかったり、様々な不安と波乱万丈の続き…。その時間を経ては荒れ野で何十年も放浪しなければならなかった、そういう歴史を、神様はその中で「ご自分の民族を導かれた」、彼らは神様
に導かれていたので「恐れなかった」。
実はこんな一言にまとまるはずのない波乱万丈さが連続していたはずですが、これもこれで真実です!(神様は導かれた。導かれたから恐れはなかった)。皆さん、これからの皆さんの生活にはしなければいけないことが色々あるかもしれませんが、それらを受け入れる皆さんの信頼、私たちの学校への信頼、これから出会う様々なことへの信頼。これらが全部集まって自分の成長と良いことのために与えられる。それを受け入れられる信頼。始まったばかりの私たち皆に必要な心構えではないかと思い、今日の聖書の詩篇の言葉を共有したところです。
皆さんがこれから感じる忙しさも難しさもまたは楽しさと嬉しさ、希望も、皆さんが成長するための良い題材であることを信頼して、ますます私たちに与えられた新しい生活、共に進めて参りましょう。お祈りいたします。