4月18日 安井宣生牧師のメッセージ
[2023-04-20]
2023年4月18日 九州ルーテル学院大学チャペル礼拝 安井宣生
コリントの信徒への手紙二4章18節
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
皆さんの大学の基礎となる九州女学院は今から97年前の1926年に設立されました。今年入学された1年生が4年生になる時に、100周年を迎えることになります。これから様々な形で100年を導かれたことを感謝し、また祝うことになります。
学院の設立母体となっているのは、ルーテル教会というキリスト教会です。設立者であるエカードさんは、アメリカのルーテル教会から派遣され、日本に到着して2年間の日本語の研修の後に、日本におけるルーテル教会のはじまりの地である佐賀へ赴任します。そこには今からちょうど130年前の1893年に伝道が始められた佐賀教会がありました。ここで幼稚園に集う小さな子どもたちのために働いたのです。
佐賀の教会にはエカードさんの着任よりも前にフィンランドからの宣教師も来日していました。今月に入って、フィンランドがNATOに加盟したというニュースがありました。フィンランドはロシアと国境を接し、長年にわたる難しさもありますから、その決断は仕方のないことなのかもしれませんが、戦争のためのネットワークが強化されることで、世界の緊張がますます高まり、平和が遠のくような気がしているのです。そんなことを心に置きながら、今日はフィンランドからの宣教師とその背後にある祈りに思いを馳せたいと思います。
フィンランドからの宣教師の来日は1900年のことです。123年前です。25歳の牧師夫妻、そして女性の宣教師クルヴィネンが長崎に到着します。牧師夫妻は事情で翌年帰国することになるのですが、クルヴィネンはとどまり、佐賀で働きます。その後、彼女は長野県での伝道活動に取り組みました。このクルヴィネンが日本に来たのは、なんと彼女が17歳の時でした。
現在でも私たちの国は外国から訪れる人たちに対して、心から歓迎し、社会に迎えていくことが上手ではないと思いますし、それゆえの様々な課題を抱えていると思いますから、100年以上前の宣教師たちの受けた苦労は決して小さなものではなかったと想像します。しかし、大変な苦労があっても日本の子どもたちに神の愛を届けたいという熱意と信仰を思うと私は心を揺さぶられる思いがするのです。
当時、フィンランドはロシアの支配を受けていました。ですから、フィンランドからの一行はロシアのパスポートで来日したのでした。また、アメリカの教会からの働きと少し異なるのですが、当時のフィンランドの経済は日本のそれよりも規模の小さなものであったと言われます。豊富な資金を活用して東洋の端の小さな国を助けてあげようというような構図ではなくて、自分たちには経済的貧しさがあり、そして他国に支配されて自由を制限されるという困難の中で、それでも遠く、まだ見ぬ日本の人たちへ聖書を通して生きる力を分かち合いたいと祈り、働いたのです。その後、フィンランドからの宣教師は東京や札幌などでも、教会や幼児教育の分野で活躍します。
九州女学院の設立から10年後に、札幌にルーテル教会が、そして翌年、教会の隣に幼稚園が開設されます。幼稚園の土地購入と建設費用はすべてフィンランドの教会のみなさんからの贈り物でした。先ほども申し上げましたが、他国に支配され、経済的にも苦労の少なくない中で、フィンランドの教会の皆さんは懸命に祈り、支援をしてくださったのでした。
当時の話を聞いたことがあるのですが、教会の子どもたちは森に入り、木苺を摘むと、親たちはそれをジャムにして販売し、お金を貯めたそうです。また、その子どもたちは親が新しいおもちゃや服を買い与えようとするならば、自分はいらないから日本の子どもたちのために使ってほしいと願ったというのです。
見たこともない人々のために、神の愛が届けられるように祈ること、そのために行動すること。それが日本のキリスト教会や関係する学校などとその歩み、そこでの出会いとつながり、つまり、皆さんの土台となっています。
見えないかもしれないけれど、確かに私たちは祈られ、支えられているのです。神と人々に。ですから、私たちもまだ見ぬ人ために祈り、行動する者でありたいと思いますし、そのための学びと経験をなさる学生の皆さんに神の励ましが豊かにあるように、私は祈ります。