4月25日 多田哲牧師のメッセージ
[2023-04-25]
ちょうどその日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
今日は4月25日です。この4月25日という日は私にとって忘れられない日です。今回たまたまチャペル・メッセージを頼まれた日が4月25日だというのも神の思し召しかもしれませんので、私にとって人生を変える日となった4月25日のことについて話したいと思います。
それは2005年の4月25日のことです。九死に一生を得た出来事でした。私はずっと関西で生まれ育ち、当時は京都にある大学の2年生で、自宅から大学へ向かう通学途中に列車事故に遭いました。JR福知山線の脱線事故です。私が乗っていた電車がカーブを曲がりきれずに脱線し、線路沿いに建っていたマンションに横転しながら衝突し、マンションの地下にめり込みました。私は、その電車の一番前の車両、まさに地下にめり込んだ車両に乗っていました。事故の瞬間は今でも鮮明に覚えています。電車の運転席のフロントガラス越しに傾きながらマンションに突っ込んでいくのが見えました。ガラスが割れ、ガラスの破片や線路の砂利が飛んできました。その瞬間、「あぁ、これは確実に死んだな」と他人事のように思いました。そのあとは衝撃で気を失ったのでわかりません。ただ、目が覚めた時には、地下だったので暗かったですが、地獄絵図のようでした。電車に押し潰されて何人もの人が亡くなっていました。わたしも他の乗客たちと折り重なるように倒れており、身動きできませんでした。何とか地上に脱出し、トラックの荷台に載せられて病院へ搬送されて、しばらく車椅子の生活になりました。
いろんな人がお見舞いにきてくれました。「助かってよかったね」という言葉が胸に刺さり、とても苦しかったです。それ以来、わたしは何年も生き残った罪悪感、いわゆるサバイバーズギルドに悩まされ、PTSDで電車にも乗れなくなりました。あの事故では100人以上が亡くなりました。そのうち何人かは、わたしの下敷きになり、そのおかげでわたしは助かりました。自分なんかより、もっと助かるべき人が居たんじゃないか、こんなに苦しむなら、いっそのこと死んだほうがマシだったとさえ思っていました。
何年も苦しんだ挙句、牧師になるために東京の神学校に入りました。奇跡的に生き残ったことに感謝して牧師になったのではありません。ただ、なぜ自分が生き残ったのか答えが欲しかったのです。なぜこんな苦しい思いをしてまで生きていかないといけないのか、それが知りたかったからです。
四年間、神学校で牧師になるための勉強や実習をしてわかったことは、答えはわからないということでした。答えはわからないけど、同じように生きていくのがつらくて答えを探している人と歩調を合わせてゆっくり歩いていくのがわたしの使命だと思うようになりました。今日の聖書の言葉は、イエス・キリストの死を目の当たりにして希望を失い、恐れと不安に悩む弟子たちを、復活のイエス・キリストが追いかけていき、歩調を合わせて一緒に歩き始めるという場面です。自分の主張を押し付けるのではなく、相手のペースに合わせて、相手の言うことにしっかり耳を傾けます。これは私たちにとって重要なことではないでしょうか。イエス・キリストは自分の身に起こったことについて「どんなことですか」と弟子たちに問いかけました。十字架にかかった本人ならば、わざわざ聞かなくてもわかることですが、あえて聞くのです。そして、一緒に歩きながら弟子の言葉に耳を傾けます。それは、話すということが気持ちの整理にのために必要だからです。誰にも言えない苦しみを、言葉にして口に出して話すことで、自分自身の存在をようやく受け入れていくことができるのです。そうして、希望を絶たれて生きる意味を見失っていた弟子たちは、生きる力を取り戻しました。私も、生き残った罪悪感によって苦しみましたが、私が立ち止まった時も、焦って早足になった時も、イエス・キリストは歩調を合わせて、私の歩く道を共に歩いてくれました。私の苦しみを引き受けてくれたイエス・キリストのゆえに、私は生きる力を取り戻し、こうして聖書の言葉を伝える牧師として働いています。
このメッセージを聞いている人の中にも、生きるのがつらいと苦しんでいる人がいるかもしれません。わたしは空しい、わたしは空っぽだと思っている人がいるかもしれません。そのぽっかり空いた心の中に、キリストの命が満たされて生きる力が与えられますように祈ります。復活のキリストがあなたの歩む道を一緒に歩いてくださいますように。アーメン