みことば

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7月24日金戸清高先生

チャプレン 崔 大凡

[2023-07-27]

ヤコブ1:14〜15

人はそれぞれ、自分の欲望に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。 そして、欲望がはらんで罪を産み、罪が熟して死を生みます。
                                                                          金戸清高先生

イギリスの経済学者ケインズは1930年に、「先進諸国の生活水準は100年後には1930年当時の4~8倍程度になっているはずで、1日に3時間も働けば生活に必要なものを得ることができるようになるだろう」と予想しました。(「われわれの孫たちの経済的可能性」(John Maynard Keynes, “Economic Possibilities for our Grandchildren” )大恐慌さなかの著書なので当時は誰も信じなかったと思われますが、それから約100年後の今、実際たとえば今のアメリカのGDPは当時の約6倍にもなっているのです。見事な予言ではあります。ケインズは、わたしたちにとって経済問題はいつまでも続く問題ではない。100年後にはわれわれはいかに余暇を過ごすかを考えなければならない時代になってくるのだというのです。

でも、今の私たちの生活は、必ずしも豊かにはなっていない。しかも労働時間は3時間どころか、過労死が社会問題となるほど毎日を忙しく働いているのです。データによると、金持ちほど長く働いているそうです。貧しい人がお金を得るために一生懸命働くのはわかりやすいのですが、これ以上稼ぐ必要のない人がなぜ多く働くのか、それは今の社会がもつ大きな問題なのです。

経済がいくら成長しても、私たちの生活は豊かにならない。労働時間は減らない、それはなぜでしょうか。私たちの生活水準が経済成長とともに上がってくるからです。人間は贅沢になれてくるとより良い生活を求めて、絶えず上へ上へと上り詰めようとする、そして心はいつまでも満たされないのです。

資本主義、つまりお金を持っている人が資源と労働力を買い取り、大量にものを生産し、売りまくって更に利潤を増やすという社会構造は、18世紀産業革命によって確立されたと言われています。この資本主義はグローバル化にともない世界的規模で発展を遂げました。人口が増え続け、大量生産、大量消費によって今の社会は成り立っています。ところが今その資本主義が限界に来ていると多くの研究者が指摘し始めました。何が問題かといいますと、まず資本主義は絶えず成長し続けなければならないのです。行ってみれば企業は潰れるまで大きくなりつづけなければならないのです。ところが世界的に、人口は頭打ちです。2100年には地球人口は110億人で頭打ちとなり、徐々に減少していきます。あと70数年後です。それまで地球が持てばの話ですが。温暖化や公害問題、食糧危機が目の前に立ちはだかっています。

今はものが売れない時代です。それでも何か売りたい、だからあの手この手で工夫をこらし、また目先を変えてなんとかしてものを売ろうとしている。成績を上げるためなら何でもやる、ビッグモーターのような事件が発生するのもそうした現代の社会情勢が生み出した悲劇ともいえます。こんな事件は今が初めてではない、昔からいくらでもありました。たとえばもう20年も前の話だったでしょうか、姉歯建設設計事務所の不正問題など、旧い先生は記憶にあるのではないでしょうか。会社の業績はめざましいけれども労働環境が劣悪なところとか。もちろんそうしたブラック企業に正義はありませんから潔く市場から撤退すべきだと私は思います。そのために多数の労働者が路頭に迷うのはよくないことですが。

「王様の耳はロバの耳」で有名な暴君ミダス王にまつわるエピソードですが、彼は神様に自分の手に触れるものをすべて黄金に変える力を願い、授けられました。ところが彼は幸せにならなかったのです。なぜなら、彼はその時から一切のものを食べることができなくなったからです。彼が食べようと手にしたものはすべて黄金になってしまうのですから、何も食べることができません。おそらく大好きな人に触れることさえでき

なくなってしまうのです。柔らかな毛布にくるまって寝ることもできなくなってしまったのでしょう。

ミダスはとうとう神様に願ってその力を放棄せざるを得なくなってしまいました。

ばかげた話ではありますが、私たち人間の欲望は事ほどさように根深いのではないでしょうか。今日の聖書の箇所はこうした人間の物欲の恐ろしさをよく言い当てていると思います。「欲望がはらんで罪を産み、罪が熟して死を生」むと。より良い生活を、より豊かな人生を送るため、たしかに物欲は必要なものかもしれません。欲がなければ人間上を目指さないからです。でもその物欲が私たちを死に至らしめるとしたら、どうでしょうか。潰れるまで膨張し続ける企業、資本主義社会は、お腹が破裂するまで食べ続ける貪欲な生き物のようです。私たちは今こそそうした欲望をセーブすることを覚えなければならない、そのような時代に今は来ているように思います。

「足るを知る」という言葉があります。私たちは今こそ東洋の叡知に学ばなければならないと河野龍太郎さんは指摘しています。これは老子の思想です。「足るを知るものは富む」というのです。お金が沢山入るというわけではなく、心が豊かになるということです。21世紀に生きる私たちは、こうした「心の豊かさ」を求めるべきなのです。どうすればいいのでしょうか。資本主義の只中にいて、その社会の一部に組み入れられてしまっている私たちには、本当にどうしたらいいのかわからないのです。

でも少なくとも私たちキリスト教学校で学び、教えている私たちは、そのヒントを授かることができるのではないでしょうか? それは他者の幸せのために生きるということ、その精神を私たちは聖書から教わっているのですから。

最後に私が三浦綾子さんから直接聞いた譬え話をしましょう。韓国の話だったと記憶しています。ある人が

地獄を見せてもらった。それは目の前にごちそうがあるのに箸が長すぎて自分で食べられないのです。みんな青白い顔をしている。次に天国を見せてもらった。状況は同じです。目の前のごちそうと、自分で食べられない長い箸をもっている。でもそこで生活している人はみんな生き生きと暮らしている。どうしてだろうと見ているとそこにいる人たちはみんな自分の箸でつかんだ食べものを、他の人の口に持って行って食べさせ、食べさせてもらって生きていたからなのです。

自分の欲望を満たすことより、他者のために生きることが豊かな生活につながることを、どうか覚えていてほしいと願います。