みことば

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7月26日学生スピーチ

チャプレン 崔 大凡

[2023-08-28]

みなさんこんにちは。キャリアイングリッシュ専攻3年です。

本日は、皆様の前でお話しできる機会をいただき、感謝いたします。このお話をいただいたとき、正直何を話すか迷いましたが、これまでの人生を通して気づいた「仲間の存在の大切さ」についてお話ししようと思います。

 

私は今までに、辛い出来事を2つ経験しました。1つ目は、兄の死です。私も詳しくは聞いていませんが、兄は元々体が弱く、小学校中学年頃から車椅子で生活していました。私が中学1年生の頃、兄は私の体育祭を見に来てくれました。とても暑かった日だったのを良く覚えています。そのせいか、兄は体調を崩し、次の日から急遽入院することになりました。実はその日が私の誕生日でした。

 

当時の私は、まさか亡くなるとは想像しておらず、なんでこの日に限って入院するんだ、と正直思っていました。二か月半の闘病生活を送りましたが、残念ながら亡くなってしまいました。兄と特に仲が良かった訳でもなく、ずっと入院していたため、しばらくの間兄が亡くなったという実感を持つことができませんでした。しかし、ふとした時に「兄はもういないんだ」と思い出し、辛くなることもありました。

 

しかし学校へ行き、仲間と共に楽しい時間を過ごすことで、兄が亡くなった悲しみを紛らわせることができました。もし楽しい時間を共有してくれる仲間がいなかったら、私はどんな生活を送っていたのだろう、私は特段明るい性格ではなかったため今頃どのような性格になっていたのだろう、と考える日が多々ありました。

 

また、勝手な思い込みかもしれませんが、兄が亡くなったあと仲間と楽しい時間を過ごす内に、自分の中で何かのスイッチが入り、以前と比べると少し明るくなったような気がします。私はこの体験から、仲間を大切にしよう、そして、仲間に助けてもらった分、周りに苦しんでいる人がいたら、裏切ることなくどのような時でも手を差し伸べようと心に誓いました。

 

2つ目は、中学校の部活です。私は吹奏楽部に所属していたのですが、中学2年生の時に部活の顧問が変わりました。新しい顧問の先生は、最初の頃は比較的優しい印象でした。しかし、3年生の先輩方が引退し、私が最高学年になった時、当時の同級生は私を含め2人しかいなかったため、日替わりで部長を任されました。当時の私は内気で、人をまとめることが一番苦手だったため、リーダーという役割をずっと避けていました。一度も代表の経験がなく、どうしたらいいのか全く分かりませんでした。その気持ちが伝わったのか、顧問とは折が合わず、リーダーとしてどう振舞えばよいのか、ずっと迷っていました。顧問には顧問なりの教育方針があったのだと時が経った今なら思うことができます。しかし、当時はどうしても受け入れられず、顧問と顔を合わせると苦痛のため、学校に行きたくない時期もありました。顧問と廊下ですれ違うだけでも緊張が走り、また何か言われるんじゃないかと不安になり、少し心が不安定になっていました。しかし、音楽や吹奏楽自体は好きだったので、顧問との関係が悪いからと言って、部活を辞めたいとは思いませんでした。中学生の私は、吹奏楽は好きだから辞めたくないけど、部長を続けるのはメンタル的に持たないという状況、そして兄の死への思いなどが重なり、顧問との関係に対し余計にストレスを感じ、私はなんのために学校へ行っているのだろう、と自問自答する日々を過ごしていました。

 

そのような時に心の支えになったのは、やはり音楽が好き・吹奏楽が好き、という気持ちを共に持った吹奏楽部の仲間の存在でした。どんなに辛くても、仲間たちと共に楽しく音楽を奏でている時だけは、不安定だった心を、明るい気持ちに変えることができました。もしあの時、部活から逃げていたら、部長としての重責と顧問との関係によって生じるストレスからの解放感はあったかもしれません。しかし、逃げていたら大好きな吹奏楽と大好きな仲間たちに顔向けできず、音楽を奏でることで解消されていたマイナスな思いをずっと持ち続け、余計に心が不安定になっていたと思います。今でも吹奏楽部の仲間たちとは、連絡を取り合うほど、深い絆で結ばれています。頼りない私についてきてくれたことを有り難く思います。

 

今日選んだ聖書箇所は、箴言13:20です。「知恵ある者と共に歩けば知恵を得/愚か者と交われば災いに遭う。」という箇所でした。この「知恵ある者」は、私が辛い思いをしていた時に、共に過ごしてくれた仲間を指し、「知恵を得」というのは、仲間と過ごす中で中学時代に抱えていた思いが解消されたことや性格が以前よりも明るくなれたこと、そして仲間の大切さに気付けたことを指すのではないかと思いました。そう考えると、この聖書の箇所は、私の体験にぴったりだと感じました。

 

今自分の周りにいる仲間にとって、自分が「愚か者」ではなく、「知恵ある者」として周りに良い影響を与え、また仲間に「災い」を与える存在ではなく、「知恵」を与える存在になることができるよう、仲間と助け合いながら、生きていこうと考えました。

 

ここにいる皆さんも、もう一度自分自身を見つめ直してみてください。身近な人にとって、皆さんは知恵を与える存在になることができていますか。辛い時、苦しい時に助け合い、嬉しいことがあったときには喜びを分かち合い、落ち込んでいる時や悲しいことがあったときに励まし合えるのが本当の仲間だと私は考えます。私は仲間の心に寄り添える存在となれるよう努力していきたいと思います。

 

一言お祈りします。

神様、今日このように皆様の前でお話しする機会が頂けたこと感謝いたします。人生には、いくつもの出会いが存在すると思います。私は兄が亡くなったときそして部活でトラブルが起こった際に良き仲間たちと出会い共に過ごす時間が心の支えとなり自分を変えることができました。内面が成長できたのも神様が仲間たちのもとへ導いてくださったお陰です。感謝します。私は仲間という大切な存在に気付くことができました。私が大切な存在に気付くことができたようにどうかこの場にいる人、今日チャペルへ来ることができなかったすべての学生、教職員が気づくことができるよう隣で支えお導きください。また、その存在を見つけることができた時に大切にすることができるようお見守りください。

この祈りを主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げします。アーメン。