みことば

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9月22日の礼拝(後期授業開始日) メッセージ:崔チャプレン

チャプレン 崔 大凡

[2023-09-22]

 「何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。/いつかは行かなければならないあの陰府には/仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ。」(コヘレトの言葉910節)

 

 皆さん、おはようございます。昨日のオリエンテーション、今日からの授業開始…こうして私たちの後期が始まりました。今日の金曜日の朝、まだ多くの学生が学校に戻ってきたような、チャペルにたくさんの人が集っているような印象ではありませんが、このように新たに始まった私たちの生活、感謝したいと思います。

 年や年度が変わるほどの大きな変化ではないけれど、考えてみれば1年の学校生活の中で一番長い休みを終えて学校に戻って来られた皆さん、これからそれなりの準備と意気込みが必要かと思います。またすでに始まっている後期の生活について行くための頑張りも必要かと思います。

 今日からの皆さんの学びと働きの上に神様の導きと助けがあることを、私たちは引き続きこのチャペルで共に祈っていきたいと願います。

 

 季節は秋です。まだしばらく日中に残る暑さはあると思いますが、異常気象による影響もまだあるかも知れませんが、またはこれから発生する台風もあるかも知れませんが… 私たちは今を秋と呼ぶにふさわしいことと思います。

昨日と今日、久しぶりに学校に戻ってきた方々にはまだ目に付かなかったかも知れませんが、私たちの学院のロータリーの三本のイチョウの木からはしばらく前から銀杏が落ち始めています。自然界とそこにある命は、時間の流れと季節の変化に合わせて、さらに生きる道へと、実る道へと姿を変えていきます。私たちも今の時期にふさわしい姿に変わっていかなければならない。そういう私たちではないかと思います。

 

皆さん、新たに学校に戻ってきてどうですか?どんな気持ちと感想でしょう。

私は個人的に、私たちの学院の秋はとても美しいと感じます。幼稚園、中高、大学…それぞれの学校が、そんなに広くもないキャンパスに集まっていて、これからそれぞれに秋の行事があり、秋の学院の風景が造り上げられていく中で、私たちの学校は美しいと私は思います。この学院で働きが与えられていることは、個人的に素晴らしいことだと、神様の恵みだと私は思っています。

私はこう言っていることは「本当」です。きっとここにいる皆さんの多くも、こういう目線から私たちの時間と学校を見つめたら、その通りだと思うのではないかと思います。

ですが・・・

じゃ素晴らしい職場に学校に毎日早く行きたいかと思ったら…?どうでしょう。

秋の美しい学校に行って皆と会うことを楽しみにする…?それとも休みがいい…?と聞かれたらどうでしょう。

私の中に深く根付いている本性(?)があることを感じます。その本性とは、何かを「する」よりは「しない」ことを好むような…。何かに「励む」より「安らぐ」ことを好むような…。新しい「始まりや変化」より「留まる」ことを好むような…。そういう本性と気持ちが私の中に(だいたい常に)あることを私は感じますが、皆さんはどうでしょう。こういった本性は、だいたい新しい時間を始めなければならない時に、よりはっきり見えてくるような気がします。

 

今日の御言葉は、そういう私たちに向けて与えられる言葉でもあると思います。

「何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。/いつかは行かなければならないあの陰府には/仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ。」

多少憂鬱さが漂うようなメッセージでしょうか。または「こんなことはもう知っているのだ」と思われるようなメッセージでしょうか。私たちがどういう気持ちでこの言葉を聞くにしても、このメッセージはこの世を生きている私たちにとって一つの大きな真実だと思います。そしてこれを知って、心に留めることは大切な「知恵」だと思います。

皆さん、私たちがこのように始めている時間、時には悩み、時には苦しみ、時には喜ぶ時間…。働くために、学ぶために頑張り、場合によっては忍耐する時間…。このすべての時間には限りがあること。今日の聖句が描いているように「いつかは仕事も企ても、知恵も知識も、もうない」、何もかも要らない時期が来ることを私たちは知っているはずです。だから私たちは、すべてが終わって後悔がないために、「今」与えられている時間の中で「熱心にするがよい」。神様から今の私たちに与えられた恵みとチャンスのメッセージではないかと思います。祈ります。