みことば

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10月23日金戸清高先生

チャプレン 崔 大凡

[2023-10-25]

ローマ13:10

「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」

今日の原稿は10日前、朝日新聞に投稿するために書いた文章を元に作っています。新聞は明日の「声」の欄に出るようですが、内容的にかなり骨抜きにされた感じで残念に思っています。内容的には先週金曜日、草場町教会の森嶋先生が話されたものと重なりますが、大切な内容だと思いますのでしっかり聴いていただければ幸いです。

手元にⅠ曲の音源がある。1999年に発表されたアルジェリア出身のシェブ・ハレドがイスラエル人の女性歌手ノアと共演したImagineである。1番はノアがヘブライ語で、2番はハレドがアラビア語で、そして最後は英語でのデュエットと展開する。1994年、湾岸戦争終了後イスラエルとパレスチナ自治区とは一時的に良好な状態となり、1993年のオスロ合意が評価されイスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長はノーベル平和賞を受賞した。ところがそのラビン氏は95年に暗殺、アラファト氏は2004年に不審死(毒殺と目される)を遂げた。99年といえば再び両国の関係が悪化していく頃の歌である。

多様性が叫ばれながら、グローバリズムが崩壊し各国が自国中心主義に向かう現代である。そのような時代だからこそ、Imagineのメッセージは重要である。

この曲ができたのは1971年、おりしも米ソが冷戦状態にあった時である。2つの国は直接対戦しない代わりに色々な場所で代理戦争が行われていた。ベトナム戦争が激化し、また中ソの対立からアメリカと中国が接近し始めるちょうどその頃である。その後日本でも田中角栄が訪中し日中国交を正常化できたのもそうした時代の流れからである。(現代日本の何カ所かの動物園にパンダがいるのも、そのおかげといえるかもしれないが)。

そうした中、「すべての人が平和に生きていることを想像してごらん」「僕は夢想家と言われるかもしれないけれど、いつか君たちも仲間に加わって、やがて世界は一つとなるのだ」と訴えたのだ。

さて10月の連休中の大きなニュースであった、パレスチナのガザ地区を実効支配している過激派武装組織ハマスがイスラエルを攻撃し、両国で2000人近い負傷者を出した(今朝の報道では両国で6000人)。日本を含む欧米諸国はこれをテロと弾劾し、イスラエル支持を表明していた。

しかし、そもそもである。永年住んでいた我が家に突然知らない人たちが入り込んで一方的に登記をすませ、これからここは私の家ですと宣言する。そんなことが許されるのだろうか。イスラエル民族は起源70年、第二神殿崩壊以来世界に離散していたのであるが、19世紀末に始まったシオニズム運動の高まりから1948年イスラエル共和国を宣言し国連に承認された。旧約聖書ではモーセが率いたユダヤ民族が「約束の地」に導かれ、ヨシュアによってエリコ城を陥落させたことが神の前に是とされた。それから数千年後の現代に同様のロジックは成立しないだろう。先住民であるパレスチナ人たちは突然我が家を奪われたのだ。

先述したが93年のオスロ合意以降、両国の関係は再び悪化し始めた。イスラエル側からすれば国民の生活を脅かされたくはなかろう。一方パレスチナ人からすれば軍事力で遥かに勝るイスラエルによって自治区をますます狭められ、弾圧されるのは堪えられない。ここは元々自分たちの生活の場であったのに。ここには両国の言い分があったにもかかわらず、アメリカはトランプ政権以降イスラエル寄りの外交にシフトした。またイスラエルはイランやサウジアラビアを除く周辺アラブ諸国との関係を改善することでパレスチナを孤立させようとしている。テロは勿論許されないが、已むにやまれぬパレスチナ人の心情も理解しなければならない。

ウクライナ戦争も同じことが言える。ドイツ統一が決まった1990年の時点でNATOは東方に拡大しないという約束がなされていたにもかかわらず、旧東アジア諸国、旧ソヴィエトからの独立諸国が次々とNATOに加盟していった。そして2008年4月のブカレストでのNATO首脳会議でジョージアとウクライナを将来的にNATOに組み込むことが宣言された。これをプーチンは強力な国際機構が国境を接するということは我が国の安全保障への直接的な脅威とみなされると主張。ジョージアとウクライナはロシアにとって超えてはならないレッドラインだったのである。

問題を戻す。日本はこれまでアラブ諸国と良好な関係を築いてきた。だからこそ対立が激化した両国に、独自の外交手段で早期停戦を訴えるなど、国際社会に独自の役割を果たすこともできるのではないか。

以前話した事があるかもしれないが、イスラム教の神とユダヤ教の神、そしてキリスト教の神は同じ唯一神である。それぞれが別の神を拝んでいるわけではなく、かつ旧新約聖書とコーランには共通する部分も多い。たとえばアブラハムにはイサクより前にイシュマエルという男の子がいた。これは女奴隷ハガルとの間の子どもでイサクは正妻サラとの間の男の子である。イスラムはイシュマエルの子孫と言われている。またコーランにはイエス(「イーサー」と記載)に関する記述もある。にもかかわらず同じ神を信じる人間、国同士が対立する。神はどちらを正義とするだろうか。今日の聖書、「愛は隣人に悪を行わない」、これこそが聖書の本質でありキリスト教の黄金律である隣人愛の精神ではないか。

憎しみの連鎖を断ち切り、人を愛することからこそ、困難な世界情勢を乗り越える唯一の道であるように思える。ロシアとウクライナ、ニジェールやミャンマーの軍事政権、トルコのクルド人弾圧、シリアの内戦、数え上げればきりがないほどの戦争、対立、弾圧がある。全世界がひとつとなるために、私たちはまず隣人を愛することから世界を変えていきたいと願う。