11月28日学生スピーチ
[2023-11-30]
おはようございます。キャリア・イングリッシュ専攻3年です。皆様の前でお話しする機会が頂けたこと感謝いたします。お話しをいただいた際何を話すのか迷いましたが、私が学生生活を送る中でボランティアについて感じ・考えたことについてお話しさせていただきたいと思います。
そもそもボランティアとは厚生労働省やJICA(ジャイカ)国際協力機構、全国社会福祉協議会地域福祉部などの機関では、“自発的な意志に基づく自主的な活動であり、活動者個人の自己実現への欲求が充足されるだけでなく、その活動の広がりによって、さまざまな構成員がともに支え合い、地域社会づくりが進むなど、大きな意義を持っている。”また“自発的な意志に基づき他人や社会に貢献する行為。”であると位置づけされています。そして活動の性格として「自主性・主体性」、 「多くの人と交流できる社会性や、それらの人々を尊重し、協力し、ともに支え合う連帯性」、「無償性・無給性」等があげられています。
話が変わりますが私は、最近昔の友達や知り合いに会った時、よく言われることがあります。髪伸びたねという言葉です。なぜそのように言われるかというと、私は小学1年生の時から高校3年生の時まで柔道をしており、競技中長い髪の毛は危険であり邪魔になるのでずっとショートカットにしていました。そのため髪を結んだことも無ければ、髪が肩についたこともありませんでした。私は昔から長い髪に対し憧れを抱いていたので、柔道から離れる大学入学を機に髪を伸ばそうと考え、伸ばし始めました。
けれど、長い髪型に慣れていないため邪魔だと感じ、「やっぱり短い方が楽だ、切りたい」と思うようになりました。しかし、私はある動画をきっかけに髪を伸ばし続けようと決意しました。みなさんは、ヘアドネーションという言葉をご存じですか。あまり聞き馴染みのない言葉かもしれません。ヘアドネーションとは、伸ばした髪の毛を医療用ウィッグの素材として寄付するボランティア活動のひとつです。私も大学生になるまではこのような活動があることを知りませんでした。私がこの活動を知るきっかけとなったのは、大学1年生の時に履修したボランティア学習論という西先生の授業です。この授業の中で難病を抱える妹がいる小学生の男の子がヘアドネーションをするために髪を伸ばし続けるという動画を見ました。私はこの動画を見た時に、小学生が誰かのために何かをしようとしている、私でも誰かのために役に立つことができるのだろうか、私もヘアドネーションをしてみたいなどの思いを持ちました。私は大学1年生の頃からチャペル委員会奉仕係に所属しており、今は奉仕係の係長を務めさせて頂いています。私が奉仕係に入ったのは大学入学当初、何か活動をしたいなとか、先輩や友達と仲良くしたいなという気持ちでした。しかし、西先生の授業でヘアドネーションという活動を知り、誰かのために何かをしたいと考えるようになってからは、ボランティアへの取り組み方も変わりました。私がこれまでしてきた中で特に印象に残っているボランティアがあります。2年前に行われた新型コロナワクチンインターネット予約サポート相談というボランティアです。これは黒髪地区にお住まいの65歳以上の方を対象に、インターネットの操作が難しいと感じる高齢者に代わり、ワクチン接種の予約をするという内容のボランティアでした。私は利用者と話し関わる中で、たくさんの「ありがとう」という言葉や笑顔をいただきました。今までは自分自身の将来のために内申点を上げようという思いで参加していましたが、言葉や笑顔に意識が向くようになってからは、私自身微力ながらもその素敵な状況を生み出すお手伝いができていることを嬉しいと思うとともにボランティア活動に参加してよかったなと思いました。私は今後も機会があれば様々なボランティアに参加していきたいと思います。
日本ではよくボランティア活動とは、無償の奉仕活動であると捉えられていますが、今日冒頭でお話ししたボランティアの定義を基に考えると自発的な意思による行動によって他人や社会に貢献するすべての行動がボランティアであると言えます。
つまり、角度を変えて物事を見るとボランティアに参加せずとも、日頃の生活の中で誰かのためにできることはたくさんあります。公共で使う場所やものを次の利用者のために綺麗にすること、自分の時にトイレットペーパーがきれたなら次に使う人のために新しいものを補充するなど、私たちの身の回りにはちょっとしたことや当たり前に感じるようなことでも誰かのためになっていることがたくさんあります。そのちょっとしたことが誰かの笑顔に繋がっているのだと思います。
今日選んだ聖書の箇所はペトロの手紙一4章10節『あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。』です。私は賜物とは他の人と比べた時に秀でた才能のことではないと思います。例えば周りの人や環境の変化に気が付けること、率先して行動する、など些細なことのように思える一つ一つの行動が賜物だと思います。
だからこそ私は小さな事柄でも、一つずつ大切に周りへの思いやりにあふれた行動を重ねていきたいと思います。そしてそれぞれができることを考え周りの為に行動する人が増え、神様から授かった賜物を活かしあえる社会へ変わる努力をしていきたいと思います。私は卒業後小学校の教員になりたいと考えており、今後たくさんの子どもたちに出会うことになります。その時に誰かのために何かできることの素晴らしさ、喜びを伝えていきたいと思っています。今日聞いてくださったみなさんの中にも何か心に残るものがあればと思います。