10月7日 金戸 清高 先生
[2024-10-07]
10月7日チャペル礼拝
ガラテヤ5:14
なぜなら律法全体が、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句において全うされているからです。
先週の木曜日、10月3日は私たちの学校の創立記念日でした。98年前のこの日、九州女学院が当時の文部省から学校として認可を受けた時です。認可を受けるのはとてもうれしいことです。今から27年前、1996年12月19日、九州ルーテル学院大学が四年制の大学として開学する認可を受けた時のことを、私はよく憶えています。そんな喜びの日を覚えるこの季節、私はみなさんと共に、建学者たちの精神に思いを寄せてみたいと願っています。もう既に何人もの方がこのチャペルで同じテーマで話をされていますが、
前回、といっても7月の私のメッセージは「キリストの心を心とする」というお話でした。これはエカード先生が九州女学院の献堂式で語られたメッセージです。今回もう一度引用します。
実に、キリスト教教育の勉むるところは、生徒を向上発達せしめ、彼らをして,真理を知ることを知識の絶頂とし、信仰をそのもっとも大切なる態度となし、祈祷をそのもっとも強い習慣とし、キリストを模範として、奉仕をすべての技能の最高点とするような人とならしむるのにほかならぬのでございます。(中略)言葉を変えて申しますならば、(中略)キリストの心を心とし、その御足跡を踏んでいく人物を養成することでございます。(1926年5月4日午後2時 九州女学院献堂式にてエカード先生の挨拶より)
この学校の目標は1.みなさんが、真理を知ることを知識の絶頂とすること、2.信仰がそのためのもっとも大切な態度であること、3.キリストを模範として、奉仕を全ての技能の最高点とさせること、つまり「キリストの心を心とし、その足跡を踏んでいく人物を養成することだというのです。「感恩奉仕」はその数年後に建てられた学院標語です。
もう1回言います。みなさんがこの大学で学んでいる中で、大事なことが3つありますよ。一つは、真理を知ることですよ、二つ目が、信仰がそのために大切ですよ、三つ目がキリストを模範とした奉仕の精神が大事ですよ、それが「キリストの心を心とする」こと、それを突き詰めれば「感恩奉仕」ということになるのです。
さて、エカード先生が来られた時の日本、あるいはエカード先生が来られるきっかけとなったペンシルバニアの教会でジャニス・ジェームスという当時8歳の女の子が聞かされた日本とは、どんな社会だったでしょうか。「家制度」という旧民法制度の中、女性の権利や地位は著しく制限されたものでした。明治に日本にやって来た宣教師たちが一番驚いて改革を訴えたことは、偶像崇拝の蔓延というのはさておき、一夫一婦制の確立と人身売買の禁止ということを掲げたことからも窺えます。9月に放映が終了したNHKの朝のテレビドラマ「虎に翼」のヒロインのモデルとされる三淵嘉子さんは日本で初の女性裁判官となった方ですが、彼女の功績は日本に落とされた原子爆弾に国際法違反の判決を下したことで有名ですが、女性の地位向上に尽力した方でもありました。
そのような、自分が見たこともない地球の裏側の小さな国に、女子教育をする学校を建てて、将来は宣教師になるのだと8歳のジャニスは5ドルの献金をした。1908年(明治41年)、熊本の女子教育に光が点った瞬間です。
今、本学は共学の大学となり、数は少ないですが男子学生もいます。女子教育の使命は終わったかといえばそうではなく、男性も女性も、共に住みやすい世の中を創っていかなければならない、そのような時代の要請に、みなさんは応えていくべき使命を負っているのだと思うのです。今の世の中は、100年前よりはもちろん改善されてはいますが、女性も男性も、共に住みやすい世の中の完成にはまだ到っていないといわざ
るを得ないでしょう。2019年ですから今から5年前、東大の入学式で東大の名誉教授、ジェンダー学が専門の上野千鶴子さんが祝辞を述べ、話題になりました。今もネットで読めますのでまだの人はぜひ読んでいただきたいです。その中で、東大に入学する女子が2割を超えないという現状を指摘されました。これは、女子が男子と比べて学力的に劣っているということでは決してなく、「女子は男子を脅かさない存在であるべき」という社会的通念が、今もなおこの日本に蔓延していることの証しであると。
現に東大女子は、自分が東大生であることを隠す傾向にあるという現状も指摘されています。あるいは東大には東大女子が入部禁止のサークルもあるようです。
もう少し横道につきあってください。ハイパーガミー(hyapergamy)という言葉があります。上昇婚と訳されますが、女性の傾向として自分より学歴や身長、収入が上回っている人と交際し、結婚したがる傾向がある。男性はその逆になるのでしょうか。ある研究家は現代日本の晩婚、非婚化、ひいては少子化の最大の要因であると指摘していますが、いわゆる3高という言葉が流行った1980年代のバブル期以降もそういった傾向が私たちの中にあるということ、それは生物学的にヒトが種の保存として優秀な遺伝子を取り込みたいという本能的欲求だと竹内久美子氏はsperm competitionの観点から指摘してもいますが、そうした本能なり欲望などにとらわれるのは文明人として恥ずかしい。
元に戻します。つまり現代も男性女性が共に住みよい社会にはなっていないということを言いたいのです。だからこそみなさんは本学を建てた、建学者の精神を正しく受け継いで、よりよい社会を築いて行っていただきたいのです。
私たちの学校の母体となるルーテル教会の活動は1893年、佐賀から始まり、すぐに熊本にやってきました1898年、水道町の熊本教会が建てられました。最初は教会を作り、次に学校を作りました。九州学院は1910年創立です。次に福祉施設として慈愛園を作りました。1919年です。つまり宣教、教育、福祉と三本
柱でこの熊本の地に根付いたのです。九州ルーテル学院大学の母胎となった九州女学院は1926年、この熊本の地に設立されました。この黒髪の丘に、当時とすればとてもモダンな建物が出来。西洋人の女性が何か動いている。周囲の住民は彼等をどのような目で見ていたのでしょう。どうやら女子のための学校ができるらしい。ここに行けば何か、自分たちの未来が変わったものになるかもしれないと、胸躍らせて入学したのでしょう。そんな女子学生を、エカード先生を始めとした初代の教職員たちは、厳しくもあたたかい教育を実施し、次々と卒業生が社会へと巣立っていった。そして今、みなさんがここで、建学の精神に基づいた教育を受けているわけです。
さて98年前、本学の建学者たちはどんな気持ちでこの黒髪の地にやって来たのでしょうか。それは、今日の聖書、「隣人を自分のように愛しなさい」というイエスの教えに従って、彼等は熊本にやってきたのです。隣人、といっても、何も隣近所だけを愛しなさいというわけではりません。教育を必要としている人、愛をもとめている人、何か、助けを求めている人、そんな人は世界中にたくさんいるのです。「貧しい人はいつもあなたがたと共にいる」(ヨハネ12:8)とイエスが語ったとおりです。彼等は、まだ見ぬ地球の裏側で生きている、私たちの隣人になるために、はるばるやってきたのです。
では、こうした建学者たちの精神を、私たちはどのように受け継がなければならないのでしょうか。これは学生達も、また私たち教職員もみんなが心に留めておかなければならないことです。私たちも、「キリストの心を心とする」生き方を心がけるということです。「感恩奉仕」の実践です。4年間でぜひその精神を身につけてほしいと願いします。そのことによって、女性も男性も共に住みやすい世の中、世界に平和が満たされる世の中が実現するのです。