みことば

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7月16日 野口 和音 中高チャプレン

チャプレン 和田 憲明

[2025-07-17]

 新約聖書:ローマの信徒への手紙15:1‐2

「私たち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。おのおの、互いを築き上げるために善を行い、隣人を喜ばせるべきです。」

 

 先日、アンパンマンの作者であるやなせたかし氏の展示会、「やなせたかし展」に行ってきました。ですので、今日はそこで知った、やなせたかし氏の言葉を紹介してお話しようと思います。

 やなせたかし氏は「人生とはよろこばせごっこです」という言葉を残しています。 それに続けて、こういうふうに言うのです。

「人間が一番うれしいことはなんだろう?」 長い間、ぼくは考えてきた。 そして結局、人が一番うれしいのは、 人をよろこばせることだということがわかりました。 実に単純なことです。 ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい」 だから、人生はよろこばせごっこだ、と言うのです。

 先ほど読んだ今日の聖書の言葉は、「おのおの、互いを築き上げるために善を行い、隣人を喜ばせるべきです」と勧めています。 この箇所だけでなく、聖書というのは、わたしたちに、良いことをしましょう、とよく勧めてきます。 しかし今日の箇所でも言われているように、そのような良いこと、相手を喜ばせることをするとき、「自分を喜ばせるべきではありません。」とも聖書は教えるんです。 それってとても難しいことだと思います。 なぜなら私たちが誰かを喜ばせようと頑張ると、そこに見返りが欲しくなるからです。

 初めは、あなたを喜ばせることが一番嬉しいと思っていても、そこに見返りが返ってこないと、「私がこんなにあなたのことを好きでいるのに」「こんなにしてあげているのに」なんて考えてしまうことがあるからです。 だからこそやなせたかし氏は、喜ばせましょう、というだけでなく、よろこばせ「ごっこ」という言い方をしたんだと思います。

 ごっこ、という言葉は、どこかそれを遊びのように捉えている言葉だと思います。 すごく上手いなと思うんです。 それは、いい加減でいい、ということではありません。 私たちが遊ぶ時のことを思い出してみると、遊びたいから、そうしたいから、遊ぶのだと思います。 そこに、見返りがあるからとか、誰かから勧められているからということは普通考えません。 自分がしたいからする、そういう風に誰かを喜ばせることが「よろこばせごっこ」という言葉に表されているのです。

  誰かを喜ばせようとすること自体が、そのまま自分にとっての喜びになる。 見返りを考えず、喜ばせたいから喜ばせようという心が、私たちにとって一番喜びを与えてくれる心なのだということを、やなせたかし氏は見つめていたのだと思います。そしてそれは、今日の聖書の言葉が私たちに勧めていることでもあるのです。

 「おのおの、互いを築き上げるために善を行い、隣人を喜ばせるべきです。」と今日の聖書は教えます。 でも、互いを築き上げるという見返りのために、わたしたちは良いことをするのではありません。 私たちがお互いに喜ばせごっこをする、そこに自然と、お互いの心が成長し、築き上げられていく、心が優しく豊かなものになっていくものだということを言っているのです。 わたしたちも、やなせたかし氏が到達したこの考え方を、聖書の言葉と一緒に受け取りたいと思います。そして、そのように誰かに関わっていきたいと思います。

 

祈りましょう。

 天の父なる神様  あなたは私たちがいつも喜んで生きることを望んでおられます。そして私たちだけでなく、私たちの周りにいる人々にも、喜びを分け合い、喜ばせあうような関わりをしていくことができますように。