7月24日 金戸 清高 先生
[2025-07-24]
「なぜなら律法全体が、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句において全うされているからです。
選挙が終わって4日経ちました。与党の歴史的大敗に終わって今権お政局が取り沙汰されているところです。今回の選挙では、多党化、多くの小さな政党が出て来ました。その中で一つの徴候ですが、これから大きな問題に発展するかもしれないのが今回、公然と外国人に対する不安をあおり、差別が口にされた選挙を見たことがない▼民主主義とは、言論による政治である。土台である選挙を成り立たせるには、事実にもとづいて政策を戦わせるという態度が欠かせない。各メディアがファクトチェックなどを通じて、候補者や党首の発言の誤りを繰り返し指摘し、にもかかわらず、その政党が票を大きく伸ばす」と、今の風潮に警鐘を鳴らしています。これを言うとどこの政党かわかってしまいますが、「日本人ファースト」をスローガンに、耳あたりのいい言葉を並べ、実質はエビデンスに乏しいメッセージで外国人が不当に優遇されていることを訴える、それが若い世代に支持され票数を伸ばしました。実は与党が少数化することで保守、右翼政党が台頭するのは日本だけではありません。ヨーロッパ、特にフランスやドイツなどがそうです。自分たちが頼りにすべき力、多くの日本人はそれを与党に求めていたのでしょうが、その力が弱まることで別の力に頼ろうとするのでしょう。イスラエルもかつてはホロコースト(大量虐殺)を経験していますので、そのトラウマも大きいのでしょうが、自分たちの生活がハマスに脅かされるので不安材料は徹底的にたたこうという魂胆、あるいは不安を根絶やしにしてほしいという国民感情が今の政権を支えているのです。あるいは「自分ところが一番だ」と力に訴えることで保守層に支持されている大国もあります。トランプ政権もそうですが、日本もかつては自民一強で力に物を言わせた強引な政治を行ってきていたのです。
今月のテーマは「平和」です。これを聞いて、皆さんの中には、変だなと、お前が言うかと、思った方もいらっしゃると思います。たとえば今イスラエルによるハマスの攻撃は、ユダヤ教とイスラム教との争いではないか、あるいはロシアとウクライナは同じキリスト教国の争いではないか。世界の争いは宗教問題から来ているのではないのかという反論です。実はキリスト教徒もイスラム教徒も、ほとんどが平和を愛する人たちなのです。むしろこうした争いは宗教よりも国同士の利害関係から来るものが多いのです。ちょっと大ざっぱすぎますが、もし詳しく知りたい方は個人的に反論受けつけます。そして、そうした問題について、実は来月5日、国際政治学者である姜尚中さんが、丁寧に説明してくださいますのでみなさんご期待ください。
「移民は出て行け」とトランプが言ったそうですが、もとはあなたたちが移民だったのではという風刺画を見て笑いました。ハマスもイスラエルに、そう言いたいだろうなと思います。ロシア人のルーツは、実はウクライナ近辺にあるということですからこちらはもっと複雑ですが。
平和の問題に戻ります。これは自分一人が、あるいは私たちの国だけが、平和であればいいということではないのは明らかですよね。日本も江戸時代は鎖国政策で300年近く自分たちだけの平和な生活をしてきたわけですが、そのようなことが現在行えるはずはありません。まず私たちは自分たちだけでは食べていけません。国内で消費される食料の半分以上を輸入に頼っているわけですから。私たちは内需だけで自立できないのです。とすると私たちは世界からできるだけ安く食料や資源を買い取って、そのためにあまり高くしないですむような製品を沢山売りつけて設けているわけです。ある学者が、100円ショップで私たちは買い物をしますが、その製品がどれだけの生産者の犠牲から成り立っているかは、普段考えないのです。カッコウという鳥は、他の鳥の巣に卵を産み付け、生まれた雛は先にあった卵を巣から蹴り落とし、蹴り落とされた卵の親からエサをもらって育つそうです。むちゃくちゃなことをするなと思われますが、今の世界状況を見れば人間もカッコウとあまり変わらないように思います。
何を言おうとしているかもうおわかりだと思います。私たちは人の足を踏んでそれに気づかずに毎日を送っているということなのです。そして踏まれた人の気持ちに心を向けること、つまり思いやりの心を、あまり持っていないということです。
それは日本人ばかりではありません。私たちには人には厳しいのです。三浦綾子さんは、人には2つのものさしがあると言われました。これは三浦さん自身が講演で話されたことなのですが、自分が少し贅沢して買った壺があり、それを床の間に飾っています。これを誰かが、自分以外の人が誤って壊してしまったとしたら、その怒りはたとえようもないものとして爆発する。それがもし、不注意で自分が壊してしまったら、それと同じ怒りを自分にぶつけるだろうか。
みなさん外国に行かれたことのある方は、その空港に降り立ったとたん、その国独特の匂いがすることに気づきますよね。アメリカはアメリカの、韓国は韓国の、台湾は台湾の。それ以外私は行ったことがありませんので知りませんが。
でも、皆さんは日本の匂いがあることには気づきませんよね。
音楽評論家のピーター・バラカンさんはロンドンの大学で日本語を専攻し、日本の音楽雑誌社に就職しました。はじめて日本にやって来たとき、焼き魚の匂いとそばつゆの匂いがそこらじゅう漂っているのに閉口したとラジオで言っておられるのを聴きました。
自分の家の匂いには他人しか気がつかない。私も年齢がら、自分の匂いには気をつけなければならないと常々思っていますが(ここは笑うところ)、他者との共生とは、思い描いているほど、たやすいものではないのです。しかしそれをやたらと排除して自分たちだけの文化、生活だけを大事にすることは難しいのです。
そうであっても、いやだからこそと言っていいかもしれません。私たちは他者を理解し、共に生きていくことを志さないといけないのです。「純粋化した文化は滅びる」とは歴史家で地政学者A.トインビーの言葉ですが、犬や猫も純血種よりも雑種の方が長生きします。世界が平和になるためには、私たちが、人を理解し、受け入れ、共に生きていく社会を目指すことからはじまるのです。キリスト教の隣人愛とは、隣の人だけつまり自分の友だちだけを愛しなさいというわけではもちろんありません。むしろ困っている人、助けを必要としている人の隣人になりさないということです。
自分一人では何もできないと思っている方、まず自分が誰かの隣人になることからはじめてみませんか。