みことば

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学生スピーチ

チャプレン 和田 憲明

[2025-10-22]

「人は人から学びを得る」

「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される。」
箴言27章17節

みなさん、おはようございます。チャペル委員会礼拝係長を務めさせていただいております、児童教育専攻3年です。今回はこのようなすてきなチャペルでスピーチをするとい貴重な機会を与えていただき感謝しています。本日は私が九州ルーテル学院大学に入学し、沢山の活動に奉仕してきた中で感じ、学びを得たことについてお話させていただきます。

突然ですが、皆さんは「人を学ぶ、人から学ぶ」という言葉に聞き覚えはありませんか?パンフレットや本学に上ってくるまでの坂の看板にも書かれている言葉です。この言葉は九州ルーテル学院大学が掲げている本学での学びの軸だと捉えています。私は本学の学びを一言で表すならばこの言葉に尽きると考えています。
私は本学に入学してから、沢山のことに挑戦させていただきました。小学校の教員になるための勉強に励むのは当然のことですが、その他にも礼拝係をはじめとして、ダウン症支援部、学生自治会にも所属させていただきました。これらの活動のすべてを通して何度も、「なぜ私はこんなにも奉仕をしているのか、もっと自分のためだけの時間を持つべきではないだろうか」と何度も考え、悩んできました。それぞれの活動に参加させていただく以上、責任が伴い休めない、これをやらなければ困る人がいる、そのように考え、自分で自分の首を絞めているような気持ちになっていました。皆さんも中にも「頑張っているのに何で誰も気づいてくれないんだろう」、「頑張りたいと思っても疲れを感じ、ふいにやめたくなる」そんな瞬間を経験したことがある人はいませんか?当然私にとってもそのような気持ちを抱いたまま、奉仕し続けることは精神的にも身体的にもつらい日々でした。
そのような苦しみに悩んでいる中、とある面接の機会にこのような質問をされました。「あなたが本学に入学し、礼拝に参加したり、キリスト教に触れたりする中で一番印象に残っていることは何ですか。キリスト教はあなたにとってどのようなことをあたえてくれましたか?」といった旨の内容でした。私はこの質問をされて瞬時に納得のいく返答ができなかったためずっとその答えを探して考え続けました。キリスト教の授業や礼拝の中で皆さんの考えや経験をキリスト教の聖句になぞらえてお話されている姿を見ていたため、この答えを見つけるために、私が入学してから自分のしてきた活動を振り返ってみることにしました。
そうした時、「あの時うまくいかなくて沢山話し合ったけれど、あの話合いのおかげでこんなにもうまくいった!」、「あの先輩、あの友達、あの保護者さんの言葉でこんなことを学べたな」という今の自分をつくりあげてきた学びの数々が思い出されました。そこでやっと、私は自分ばかりがこんなに奉仕をしているのに、見返りが全くないことをしているという思いにばかり支配されており、そこからいったい自分は何を学んでいるのかということを見失っていたことに気づくことができました。
私はいつの間にか、先生、同級生、先輩、後輩、そのほかにも沢山の人との関わりの中で学びを得て、自分の糧としていたのです。このとき、私はいま聖書に導かれてキリスト教について考え、自分自身を見つめなおすことができたのだと感じました。おそらくキリスト教に触れてこなければ、このような質問も人生の中で投げがけられることはなかっただろうし、自分なりの学びに対する考えにはたどり着かなかったのではないかと考えます。

このように私は、たくさんの奉仕活動を通して、結果的に自分自身が多くの人に「研がれて」きたことに気づきました。そして今、聖書の言葉「鉄は鉄によって研磨する。人はその友によって研磨される。」という聖句が、まさにこの私の学びを表していると強く感じます。

鉄が鉄によって研磨されるように、人は人との関わりの中で磨かれていきます。それは、楽しくて心地よい関わりだけではありません。時にはぶつかり合い、悩み、迷いながら対話を重ねることの中にこそ、人を成長させる力があるのだと気づかされました。自分を映す鏡のように、他者の言葉や態度が自分の至らなさや可能性を教えてくれ、よりよい自分へと導いてくれる。それが「人から学ぶ」ということではないでしょうか。

奉仕や学びを通して出会った多くの人々の存在が、私を磨き、支えてくれました。そして今の私があるのは、そのような出会いがあったからこそだと思っています。これからも私は、誰かを研ぐ存在でありながら、誰かに研がれ続ける存在でありたいと思います。この大学での学びや出会いが、皆さん一人ひとりの中でも、そのような「鉄が鉄を研磨する」ような関係となっていくことを願い、私のスピーチを締めくくらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

最後にお祈りいたします。
「神さま、今日、このような学びと気づきの機会を与えてくださったことに感謝します。どうか、私たちがこれからも人との関わりを通して磨かれ、成長していけますように。
この祈りを主イエス・キリストの御名によっておささげします。

アーメン。