みことば

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11月10日 金戸 清高 先生

チャプレン 和田 憲明

[2025-11-12]

実際、あなたがたのもとにいたとき、私たちは、「働こうとしない者は、食べてはならない」と命じていました。(テサロニケの信徒への手紙二/3:10)

下線部の内容は以下の通り

そして、私たちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自らの手で働くよう熱心に努めなさい。(テサロニケの信徒への手紙一/4:11)

10日前、朝日新聞にある小学校の先生が「働かざる者食うべからず」という言葉はもう遣いたくないという投稿をしておられました。たとえば給食当番をサボる児童を戒めるためによく使われるそうですが、「働かない者は食べる(=生きる)権利がないというのはあまりに暴力的ではないか」というのです。私もこの言葉を初めて聞いたのは小学生頃だと記憶していますが、親に言われて、何かモヤモヤした違和感を抱きました。以後いつもこの戒めを聞く度に同様の気持ちを抱いています。働きたくても働けない人がいる、年齢や心身の不調などで。でもそんな人がなんらかの形で働く機会と場が与えられたら、それはいいことだとは思います。

「働かざる者食うべからず」という人生訓は実は聖書からだった。

ロシア革命を起こした共産党の指導者であるレーニンが自身の論文「競争をどう組織するか?」でこれを引証し、「『働かざるものは食うべからず』――これが社会主義の実践的戒律である」と述べたことで広がったと言われます。

思い返せば今から10年前の2015年、当時の首相であった安倍晋三氏により「一億総活躍国民会議」が創られました。先月新しく総理大臣になった高石早苗氏が「私自身、ワーク・ライフバランスを捨てて働きます」と発言したことが話題になりました。「自民党議員は少なくなったので全員馬車馬のように働いていただきます」という発言に続いての言葉なので、対象は議員さんだけかと思っていたら、その後厚生労働大臣に労働時間の規制緩和の検討を指示したというのです。

プロテスタント教会が近代資本主義の発展に貢献したというのは今や定説になっています。その根拠は、どんな労働でも、たとえば芋の皮むきでもそれを徹底すれば神の栄光をあらわすことになる(これは映画「炎のランナー」のワンシーンですが)働くことは神の意志に叶っていることであり、働けば働くほど神の栄光を顕すことにつながるという労働倫理が定着しているからといえます。

働くことはもちろん国民の三大義務のひとつですから、私たちはみんな働く義務を負っています。でも、「働かなければならない」という気持ちは、学生のみなさん、特に就職を控えた方々にとっては何か押しつけられ感があって、いやですよね。卒業したら親から経済的に独立しなければならない、奨学金も返さなければならない、税金や健康保険、年金も払わなければと思うとなんだか億劫ですよね。気持ちはよくわかります。私も、本当は働くのは好きではありません。ただこうして大学で職を得て、研究や教育、あるいはこうしてチャペルでお話するような、校務分掌をこなすことは、嫌いではありませんし、むしろ楽しいです。

なぜ働くことがきらいで今やっていることが楽しいのか、どうやら自分の労働の意義に関わるようなのです。労働が誰かを不幸にするならそれもよくない。たとえばブラックバイトのようなものです。それから単に報酬を得るためだけの労働だったら、それは空しい。公害で汚染された海で働いていた猟師さんが、とってきた魚を工場の会社に持って行って、買ってもらう。そうして報酬を得ていたのですが、その魚は汚染された海のものだったのでそのまま廃棄されてしまいます。その猟師さんは魚をとることをやめてしまったというのです。

やはり自分の仕事が誰かの役に立っていると実感することができたとき、私たちは働くことに楽しさを覚えるのではないでしょうか。できたらそんな職業につきたい。お金はもらえるに越したことはありませんが、労働の目的はそれだけではないのでしょう。

宮沢賢治という詩人、童話作家はみなさんご存じと思います。あまり知られていない童話ですが、「虔十公園林」という童話があります。主人公の虔十は、今の言葉で言えば知的なしょうがいがあったのでしょう。いつも笑っていて、みんなに馬鹿にされていたのですが、その虔十があるとき、杉の苗を700本買ってほしいというのです、裏の空き地に植えたいからと、親にせがむのです。あそこは杉は育たないし植えても無駄だと思うのですが、たっての願いとあって、親は虔十に苗を買ってやります。それを毎日毎日植えるのです。みんなはそんなことは無駄だと笑ったり馬鹿にしたりしますが、おかまいなく植え続けます。隣の平二が自分の畑の陰になるからと怒って袋だたきにしますがくじけません。実際はほんの15㎝程度しか陰を作っていなかったし、かつ杉畑は彼の畑の南風を防いでもいたのですから。その木の下枝を伐採したらそれが薪になったと家族は喜び、またその間を隣の小学校の子どもたちが行列を作って散歩に来ます。虔十はそれを喜んで見ていましたがやがてチブス煩って死んでしまいます。虔十をなぐった平二もその一月ほど前同じ病気で死んでいました。やがて数十年が経ち、その杉林は立派に育ち、人々の憩いの場となり、虔十記念公園と呼ばれるようになったという話です。

宮沢賢治は文学者としては生前ほとんど注目されませんでした。質屋の長男として生まれましたが完全な穀潰しです。家族の理解がなければその才能はとっくに潰されていたでしょう。それでも今、沢山の人が彼の作品に癒やされています。虔十と賢治はどこか似ているところがあるのでしょう。今日彼が生前残した一つの絵を紹介します。Tearful eyeと題されたイラストです。一体こんなものが何の役に立つのかと誰しもが思ったことでしょう。でも、これをモデルにした庭がある場所に作られました。少年院です。何の役にも立たないと思った彼の絵が、今少年院の入所者の心を癒やしているのです。

どんな仕事を選ぶか、それこそ職業選択の自由です。でもみなさんのこれから選ばれる職業が、たとえその時は何のためになるのかわからなくても、いつか誰かの幸せの助けになる、そんな職業であったら幸いだと思います。それこそが本学のエートス、感恩奉仕の精神ではないでしょうか。