みことば

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12月22日 金戸 清高 先生

チャプレン 和田 憲明

[2025-12-25]

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ 3:16)

2023 年 5 月 5 日(こどもの日)の「天声人語」に、芥川龍之介の晩年の作品「河童」の一節が引用されました。

 「河童のお産ぐらい、おかしいものはありません」。父親は電話をかけるように、母親のおなかの子どもに向かって大きな声で尋ねるという。「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ」▼芥川らしいユーモアにあふれた話である。「僕は生まれたくはありません」。子どもがおなかからそう答えると、お産はとりやめとなる。河童の国の子どもは生まれるかどうかを自分で決める権利があるのだ▼さて、翻って人間の国で同じことがありえたら、どうだろう。私たちの社会は、母親のお なかの子どもが喜んで「生まれたい」と叫べるようなところだろうか。しばし腕組み考える▼日本では7人に1人の子どもが貧困に苦しむ。虐待があり、いじめがあり、若者の高い自殺率がある。「異次元の少子化対策」といっても、経済をよくしたいとの大人の事情が見え隠れするものだ。河童のように選べるならば、誕生をためらう子もいるかもしれない▼

 2024 年の虐待事件 2700 件の内 52 人が死亡(昨年 52 人の子どもが虐待で亡くなった)。また、UNICEFの資料では世界では 5 歳まで生きられない子どもが年間 560 万人。5.6 秒に 1 人の子どもが 5 歳未満に亡くな っている。(病気の他虐待や災害、戦争被害など)今日の朝日新聞に旧満州から引き上げてきた90 歳の方の記事が載っていました。当時 10 歳だった彼女は目の前で弟を亡くします。「母ちゃん、抱っこして。暖かい空気を吸わせて」というのが弟の最後の言葉だったと語っています。

 毎年クリスマスが近づく頃、街の賑やかさとは裏腹に、何か粛然とした気持ちになるのです。チャペル新聞「読んでっ!」に書かせていただきましたが、今年のクリスマスは私が洗礼を受けて 40 回目のクリスマスになります。昨日は出身の教会である懐かしい神戸の教会のクリスマス礼拝に出席したところです。懐かしさとともにその時のクリスマス礼拝の感動が胸の内に蘇りました。

 みなさん、想像してみてください。今から 2025 年前の冬の夜、クリスマスツリーも、イルミネーションも、サンタクロースもなかった時代、ユダヤの小さな街の、馬小屋で、旅の貧しい夫婦から、ひとりの男の子が生まれ、えさ箱がベッドになった。誰にも知られず、ただ夜空の星だけがきらめいて、生まれた赤ん坊を祝福している。衛生的で看護の行き届いているクリニックで出産し多くの人から祝福されて誕生する現代の私たちとはかけ離れた生まれ方です。不衛生、孤独、危険きわまりない環境です。そんな中でイエス・キリストは生まれられた。何のために? 神から離れ、目的を失って生きている多くの人々を、神に立ち返らせる大きなプロジェクト、神による人類救済プロジェクトとして、神はひとり子を世に下された。生まれたばかりの赤ん坊は何もできない。後に偉大な救世主として成長するという物語ではありません。たった今生まれられたその赤ん坊が、もう、救い主そのものなのです。イエスは自分、私という一人称単数の人間のために生まれられたのだとわかった時、クリスマスが初めていかにありがたい出来事かを実感することができたのでした。みなさんも後の生涯で、そのような思いをいだく瞬間が訪れることを切に願っています。

 先ほどの河童の話の続きに戻りますが、私たちは、いずれは死んで行きます。人間はすべて、死ぬために生まれると言っても間違いではないと思います。でも、自分がどんな死に方をするか、予め解っていたら、場合によっては「私は生まれたくない」と宣言したくなるかもしれないですよね。誰もが、幸福な人生を送りましたというわけではないですから。

 で、イエス様です。イエスの母マリアの親戚であったエリサベツは、閉経後に神の力によって懐妊し、男の子、バプテスマのヨハネを生みました。彼はイエスの公生涯を預言し、近親結婚を諫めたためにヘロデに捕らえられ、妻の娘サロメの願いによって首をはねられてしまいます。イエスは、降誕からおよそ30 年後、十字架で命を落とします。自身は何の罪も犯さなかったのに、です。実はこれらすべてが神のプロジェクトのために計画されていたものだったのですが、イエスからすれば神は相当な「親ガチャ」です。

 でも、イエスは自分がこのような生涯を辿ることを知りながら、これを父なる神からの使命として受け容れ、この世に降ってくださったのです。あえて、不衛生、孤独、危険きわまりない環境の元で。

 神はどんな気持ちでしょうか。自分の子が危険な環境で産まれ、悲惨な死に方をするのを、喜ぶ親がどこにいるでしょうか。いくら神であっても、親としてはイエスを降すのは、相当の勇気と決意と、そして何よりも心の痛みを抱くはずです。そのような痛みを抱きながら、神はイエスを世に降すことを決意された。そのことによって、私たちにクリスマスの希望と喜びがもたらされたのです。

 神、イエス、そして私。この三者の関係を改めて思い直すのが、クリスマスなのです。街中が賑わうこの季節です。私たちも楽しい気分でクリスマスをお祝いしたいと思っています。でも、今日私がみなさんにお伝えしたこと、今から 2025 年前のひっそりとした夜、ユダヤの田舎町で起きた出来事について、思い巡らせていただきたいと切に願います。
原稿には私の好きな讃美歌を2 つ載せています。その内のひとつを紹介し(もう一つは HP でこの原稿からご覧下さい)、私のクリスマスメッセージを終えます。

クリスマスおめでとう(CS さんびか 22)
1.よぞらにほしが なくっても
あなたのひとみは ほしのよう
かみさまのひかりを うけたから
クリスマスおめでとう ハレルヤ
2.ローソクのあかりが なくっても
あなたのむねには ともしびが
かみさまのあいに ゆれたから
クリスマスおめでとう ハレルヤ
3.まっしろなゆきが なくっても
あなたのこころは ゆきのよう
イエスさまのちしおで きよめられた
クリスマスおめでとう ハレルヤ
4.なんにもプレゼント なくっても
あなたにすてきな プレゼント
かみさまがひとりごを あたえられた
クリスマスおめでとう ハレルヤ
5.あなたのこころに イエスさまが
このよるおうまれなさったら
すばらしい すばらしいクリスマス
クリスマスおめでとう ハレルヤ

 

O little town of Bethlehem,

how still we see thee lie!

Above thy deep and dreamless sleep

the silent stars go by.

Yet in thy dark streets shineth

the everlasting light;

the hopes and fears of all the years

are met in thee tonight.

For Christ is born of Mary;

and, gathered all above,

while mortals sleep, the angels keep

their watch of wond'ring love.

O morning stars, together

proclaim the holy birth,

and praises sing to God the King,

and peace to men on earth.
ああ、ベツレヘムの小さな町よ
イエスはなんと静かに横たわっていることか!
深く夢も見ぬ眠りの上では、
静かな星々が過ぎ去っていく。
しかし、暗い街路には
永遠の光が輝き、
長年の希望と不安が
今夜、あなたの中に宿る。

人間たちが眠る間、
キリストはマリアから生まれた。
そして、天使たちは
天に集い、驚くべき愛をもって見守り続けている。
ああ、明けの明星たちよ、共に
聖なる誕生を告げ知らせよ
王なる神に栄光を、
そして地上の人々に平和を。

How silently, how silently,

the wondrous gift is giv'n!

So God imparts to human hearts

the blessings of His heav'n.

No ear may hear His coming,

but in this world of sin,

where meek souls will receive Him still,

the dear Christ enters in.

O holy Child of Bethlehem,

descend to us, we pray;

cast out our sin and enter in;

be born in us today.

We hear the Christmas angels,

the great glad tidings tell;

O come to us, abide with us,

our Lord Emmanuel!

朝日新聞記事URL https://digital.asahi.com/articles/DA3S16368367.html?ptoken=01KD1CSGG59P90KM138STGYVWA