1月20日 西林 佳夫さん
[2026-01-20]
【聖書】出エジプト記4:10
モーセは主に言った。「ああ、主よ。以前から、また、あなたが僕に語られてからでさえ、私は雄弁ではありません。私は本当に口の重い者、舌の重い者です。」
おはようございます。
宗教委員で大学総務課の西林です。
イタリアで開催されるオリンピックが来月に迫ってきました。前回出場されたルーテル学院高校出身でスノーボードの鬼塚雅さんは予選敗退と残念な結果となりましたが、今から楽しみです。
さて、スポーツ観戦がお好きな方ならお分かりになる方も多いかもしれませんが、「フットボール」という言葉で思い浮かべるスポーツは、世界の大半では「サッカー」を指します。これが、アメリカでは「アメリカンフットボール」を指すことの方が圧倒的に多くなります。鎧のようなプロテクターやヘルメットを身に着け、大男がぶつかり合うイメージの、あのスポーツです。
アメリカンフットボールはタフで力強い体力と複雑な戦術を深く理解する頭脳を必要とすることから、「究極のスポーツ」と呼ばれることがあります。
そして、1月はアメリカのプロフットボールリーグのプレーオフが始まり、オフィスでは、仕事そっちのけでフットボールの話題に花が咲きます。
私は、学生時代に1年間だけアメリカンフットボール部に入っていました。そんな体格には見えないかもしれません。高校まではテニス部でしかも、筋トレが大嫌い。入部当時は今より15キロほど軽くて、学食で食事をとっていると、先輩やマネージャーに一皿追加させられたり、練習といってもひたすら筋力トレーニングを繰り返したりと、相撲部屋にでも入ったのかと錯覚するくらいの毎日でした。おかげで、体重は筋肉だけで10キロ重くなり、いわゆる細マッチョというレベルで体格がよくなりました。
そもそも、観戦するスポーツとして楽しんでいたところに自分が参戦するとは思ってもいませんでしたし、勧誘した先輩にも自分なんかはふさわしくないと全力で拒否してしたことを覚えています。
そんな私を入部に踏み切らせたのはこんな言葉でした。「アメフトはどんな体格でも必要とされるポジションや場面が必ずある。その役割を極めればいい。」確かに、パスを投げる強い肩がある人、ボールをキャッチする技術にたけた人。ボールをひたすらにまっすぐ、強く蹴ることができる人。背が低い人でも大男の隙間をすいすいと潜り抜けていく俊敏性。いわゆるスペシャリストが集まってチームを作っていく。究極の適材適所の考え方に奥深さを感じました。そのように考えると、私にも何かできるんじゃないかという気持ちがわいてきたことを思い出します。
残念ながらけがをしてしまい、在籍はたったの1年間でしたが、多くのことを学んだ1年間でした。
今日読んでいただいた出エジプト記の箇所は、モーセが神様から預言者としての使命を受けた際に、自分の口の重さという、モーセが自覚している
限界を訴えた場面です。預言者とは神様の言葉を民衆に伝える役割を与えられた人のことを言います。この時のモーセには言葉では表現できないようなプレッシャーがかかっていたことが容易に想像できます。
このように感じることは、私たちにもあるでしょう。私がかつて筋力体力に自信がなくフットボールなんてできるわけがないと思ったことと同じように、私たちは自分の能力に対して強く疑念を抱くことがあります。自分の能力と比べはるかに困難だと感じる場面がよくあります。しかし、神様は続けてこのように言われます。「誰が口を与えたのか。」これは、私たちの弱さを理解し、神様だけが知っている適材適所をお与えになり、勇気づけてくださることを示しているのだと思います。
このみ言葉を通して、私たちは自分で気づいていない役割があるかもしれない、そして、神様の導きによって、日々用いられて活かされているのだと信じて暮らしていけば、一日一日が実りのあるものになるのではないでしょうか。
短く祈ります。
神様、あなたのもとこの学院に集められたことに感謝いたします。私たちはとかく自分の価値を小さくとらえてしまします。それでも、預言者モーセを遣わされたように、私たちも神様から適材適所に遣わされていることを信じて歩んでいけるよう導いてください。
この小さな祈りを、主イエスキリストを通じてみ前にお捧げいたします。
アーメン。