1月26日 金戸 清高 先生
[2026-01-26]
しかし、必要なことは一つだけである。(ルカ10:42a)
今年度のチャペルも明日で終わりですね。年度の締めくくりとして、何かみなさんの心に残るようなお話をしたいと思っていますがうまくいくかどうか…
キリスト教学校新聞1月号 松隈協 関西学院高等部宗教主事「説教って何ですか?」
説教とは、語り終わった時に、みことば(聖書の言葉)だけが残るものと教わった。
関西学院での礼拝、あるノンクリスチャンの先生が、自分は関西学院中高大を卒業し母校の教師になった。「求めなさい、そうすれば、与えられる」(マタイ7:7)がどれだけ嫌いかという説教をした。中学時代は、高校時代は、大学時代は、教師になってからはと延々と続く、これからどうなるのかと松隈先生はヒヤヒヤしながら聞いていたらその先生は最後に「それでも僕はこの聖書の言葉から逃げられない。ずっとこの聖書のことばが僕を追いかけてくる」その学期の生徒の感想で一番心に響いたのが、じつはこの先生のメッセージだったというのです。(私も長くここに勤務しておられるある教員が聖書のタラントンの喩えがどうしても納得いかないという話を聞いたことがあります。これは釈義的にいくら説明してもだめですね。本人が腑に落ちないと。)語り終わって、御言葉だけが残るメッセージ、これからはそんなメッセージを届けたいと思った次第。
昨年末、ある本が朝刊の広告に目がとまり、すぐに買ってみました。
「世界の果てのカフェ」(ジョン・ストレルキー)2003年の著書です。これは20年以上読み継がれて世界累計500万部、45言語に翻訳されたといいますが(本当かな?)、日本では昨年11月に刊行されました。
語り手ジョンは仕事に疲れ充電しようとして街を離れる途中、高速道路の事故で一般道に下りたら何もないところで、ガソリンがなくなりかかるまで走り続けたところであるカフェをみつける。一風変わった「しつもんカフェ」といいます。
メニューに「お待ちの間、次のことについて考えてみてください。あなたはなぜここにいるか。あなたは死を怖れるか。あなたは満たされているか。」ジョンは店員のケイシー、シェフのマイク、客のひとりアンと言葉を交わす中でこの3つの質問についての理解を深めて行くという物語です。
道を失ってたどり着いたところで自分の生きる意味を問い直す、というのはいわゆるファンタジー文学、銀河鉄道の夜とかナルニアのライオンと魔女とか、星の王子さまとか、そういった物語の常套で、いってみればありふれた展開なのですが、やさしい文体ですぐに読み終えることができ、色々考えさせられる内容です。
話を戻しますが、ジョンは、なぜ仕事に疲れたかというと職場で昇進が約束されているのですが、そうすれば給料は増えますが仕事量も増える、ますます忙しくなる、そんな悩みを抱えていたのです。とにかく週末、日常を離れてどこかでゆっくり過ごそうと、そう思ったのです。先ほど言いましたように事故の関係で道に迷い、やっとたどり着いたレストランでは、みんな楽しそうに、ゆったりと過ごしているのです。ジョンはメニューの言葉「あなたはなぜここにいるか」「あなたは死を怖れるか」「あなたは満たされているか」について、ケイシーたちに訊ね、色々なヒントをもらうのです。
これから社会に出ようとしている方もいらっしゃるでしょう。今働いていて、このジョンと同じ様な境遇におられる先生や職員の方も、いやそんなことまだ先の話だしとおもっておられる方もいらっしゃるでしょう。
でも少し考えてみたいのです。なぜ働くのか。以前(11月10日でした)労働倫理についてお話をしましたが、もちろん生活のためではあるのですが、その日や将来のためのたくわえ以上に働こうとしているのは、自分たちの生活、人生を豊かに送りたいからである。たとえばこれがあると私たちの生活はもっと豊かになるのではないかと思い、色々な物を買います。そのためにお金をためたり、ローンを組んだりします。それらのいくつかは確かに私たちの生活を楽にし、楽しくさせてくれるのですが、買って使ってみて、それほどでもないなと思わされることもよくあるのではないでしょうか?
ある実業家が、日常からのがれるために休暇に出かけた。飛行機で遠く離れた場所に行って、小さな村をふらりと訪れた。数日間、村の人々を観察して、誰よりも幸せで満たされているように見える漁師に目が留まった。実業家はそのことに興味を持って、ある日その漁師に近づいて、まいにち 何をしているのかと訊ねました。漁師は答えます。毎朝起きて、妻と子どもたちと一緒に朝食をとる。それから子どもたちが学校に出かけ、自分は釣りに行き、妻は絵を描く。数時間釣りをして、家族の食事に十分な量の魚を持ち帰って、昼寝をする。夕食後は、子どもたちが海で泳いでいる間、妻と浜辺を散歩して、夕日を眺める。
実業家は驚いた。「それを毎日、ですか?」漁師「ほとんど毎日だ。他のこともときどきするけれど、そう、これが私の人生だ」「それで、魚は毎日釣れますか?」「ああ、魚はたくさんいるからね。」「家族に持って帰る以上の数の魚が釣れますか?」漁師は実業家を見て、にっこり笑ってこう言った「ああ、多めに釣って、それはそのまま逃がすよ。私は釣りが好きだからね」「じゃあ、一日中釣りをして、できるだけたくさん釣り上げたらどうですか? そうすれば、魚を売って、大もうけができます。すぐに2隻、3隻目の船を買うことが出来るでしょう。数年後には、大都市に事務所を持つことができる。おそらく10年以内に魚介類の国際的な流通ビジネスを始められると思いますよ」
漁師はふたたび実業家に微笑みかけた。「なぜ私がそんなことをするんだ?」「お金のためですよ。そうしたら大金を稼いで引退できますよ」「引退したら、何をするんだ?」「それは……何でも好きなことをすればいいですよ」「たとえば家族と一緒に朝食をとるとか?」「まあそうですね」「それから、釣りが好きなので、毎日すこしばかりの魚を釣ってもいいかな?」「いいんじゃないですか。その頃は以前より魚が減っているでしょうが、まあ少しはいるでしょうから。」「それから、夕べは妻と浜辺を散歩して夕日を眺め、子どもたちを海で泳がせながら過ごせるかな?」「もちろん、お好きなように。そのころはお子さんたちはすっかり大きくなっているかもしれませんが」
漁師は実業家に笑顔を見せて、握手をして、エネルギーの充電がうまくいくようにと幸運を祈った。
他にも色々大切なメッセージがありましたが今日はこれだけを紹介します。残りは自分で読んでください。これをお貸ししてもいいです。図書館にリクエストしてもいいと思います。
働くことは大切ですし、お金が必要でないとはいえません。充実して毎日を送っている間は、こんなエピソードを思い出す必要はありません。でもふと立ち止まって、自分がなぜこんなことをしているのだろうと思い至った時、このエピソードは私たちにとても大事なことを教えてくれているように思います。
皆さんの中で、一生自分を追いかけてくるような聖書の言葉に出会ったでしょうか? 一番きらいな箇所はどこでしょうか? もしあったら、こっそり私に教えて下さい。私はいろいろあるのですが、今日の聖書の箇所はまるで魚の小骨のようにいつも心にひっかかって来ます。わかっているけれど…
今日聖書を持って来られた方はもうおわかりでしょうが、これは、マルタとマリアの有名なエピソードから切り取ったものです。イエスの言うとおり、私たちは多くのことに思い悩み、心を乱しています。でも、私たちにとって本当に大切なことは多くありません。そんなことをみなさんがある日立ち止まったとき、思い出していただければ幸いです。